【GT2ストラダーレお披露目も】マセラティ110周年イベントに140台以上が参加

公開 : 2024.12.04 12:05

2024年12月1日に創業110周年を迎えたマセラティ。お祝いに集まった140台以上の名車たちが体現するマセラティの歴史と神髄とは。吉田拓生がレポートします。

国内最多のマセラティが集結!

photos:Nina Nakajima

1914年12月1日に創業した自動車メーカーがある。イタリアの老舗、マセラティである。それからちょうど110年が経った日曜日、快晴の東京プリンスホテル駐車場に110台の新旧マセラティが勢揃いした。マセラティ創立110周年記念イベントが開催されたのだ。

このイベントは1993年に誕生したマセラティ・クラブ・オブ・ジャパンとマセラティのインポーターであるマセラティジャパンの協力によって開催が実現している。

A6GCSはじめ、初代ギブリ、カムシン、シャマルなど、マセラティが誇る名車が集結。同クラブ会員である奥山清行氏もクアトロポルテで参加。
A6GCSはじめ、初代ギブリ、カムシン、シャマルなど、マセラティが誇る名車が集結。同クラブ会員である奥山清行氏もクアトロポルテで参加。    中島仁菜

1台また1台と印象的なエグゾーストノートを伴って会場に現れたマセラティ。その数は当初予定していた110台を大きく超え、なんと140台にも達していたのである。日本国内においてこれほどの数のマセラティが一堂に会したことはないのでは? という関係者もいたほど。それだけでも大変な盛り上がりとなったことは言うまでもない。

縦に長い東京プリンスホテルの駐車場には年式が古い順に参加者が乗ってきたマセラティが並べられており、その端には赤くて引き締まったボディのバルケッタがいた。1953年式のA6GCSである。この個体は数あるA6GCSの中でも唯一のスカリエッティ製ボディを纏った1台。新車当時はヴィニャーレ製のボディだったが、クラッシュの後スカリエッティがリボディを担当したという由緒正しい個体だという。黄色く色づいた銀杏の木をバックに佇む往年のレースカー。その光景がマセラティというブランドが持つ好戦的で、しかし優雅さを忘れないキャラクターを反映していたのである。

110台のマセラティと共に歴史を振り返る

イベントの開始がアナウンスされると、マセラティジャパンの木村隆之社長とマセラティ・クラブ・オブ・ジャパンの越湖信一会長がマイクを持ち、ずらりと並んだ歴代のモデルについてのトークを繰り広げ、メンバーの人だかりがこれに続いた。

越湖会長は30年以上所有している愛車、ボーラを持ち込み、一方の木村社長自身もマセラティ・クラブ・オブ・ジャパンの会員であり、ギブリIIを所有するエンスージャストでもある。今回集まったモデルの中でもトピックとなるモデルの前で立ち止まり、マニアックなトークに花を咲かせた。

(左より)越湖会長、吉田拓生氏、木村社長による車両解説で語られたマセラティの歴史の豊かさに、多くの聴衆が頷いていた。
(左より)越湖会長、吉田拓生氏、木村社長による車両解説で語られたマセラティの歴史の豊かさに、多くの聴衆が頷いていた。    中島仁菜

純粋なレーシングカーからV8搭載のスーパーカー、そしてラグジュアリーなGT、角ばったボディで一世を風靡したビゥトルボ系、そしてクアトロポルテのようなセダン、最新のスーパースポーツであるMC20までが顔を揃えた今回のイベント。これら歴代のマセラティを目の当たりにして感じたのは「一貫している!」という一言に尽きる。全てのマセラティがレーシングカーにゆかりの深いパワーユニットと、華のあるボディの組み合わせという共通項で結ばれていたのだ。

最新モデルというべきMC20やグランカブリオが搭載するネットゥーノV6エンジンも、市販車ではマセラティしか実現できていないプレチャンバー技術を含んだレーシーな逸品。ブランドとしてのブレない姿勢があるからこそ110年もの長きにわたってファンに愛され続けてきたことが伝わってくる、そんな歴史を代弁する車両展示だった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    吉田拓生

    Takuo Yoshida

    1972年生まれ。編集部員を経てモータリングライターとして独立。新旧あらゆるクルマの評価が得意。MGBとMGミジェット(レーシング)が趣味車。フィアット・パンダ4x4/メルセデスBクラスがアシグルマ。森に棲み、畑を耕し蜜蜂の世話をし、薪を割るカントリーライフの実践者でもあるため、農道のポルシェ(スバル・サンバー・トラック)を溺愛。

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