名車と振り返る「暗い過去」 今はなき英国の自動車メーカー 27選

公開 : 2024.12.14 18:05

オースチンヒーレー

ドナルド・ヒーレー氏とオースチンの共同事業により、美しいオースチン・ヒーリー100とスプライトがBMCによって生産・販売された。しかし、スプライトはMGミジェットとなり、大型のヒーレーは最終的に米国の法律によって生産が禁止され、ブランド名は1971年に無駄に廃止された。

BMWは1990年代後半にZ3をベースに復活を検討したが、ローバーから手を引いたことで霧散した。

オースチン・ヒーレー
オースチン・ヒーレー

写真:オースチン・ヒーレー3000

ビーン・カーズ(Bean Cars)

ビーンという社名は、創業者ジョージ・ビーン氏に由来する。ビーンはバーミンガム近郊のダドリーに拠点を置き、第一次世界大戦中は英国軍向けに砲弾を製造していたが、平和が訪れると注文が途絶え、当時活況を呈していた乗用車および商用車市場への参入を決意した。1913年に開発されたペリー車の生産権を購入し、一時期はモーリスやオースチンに匹敵するほどのベストセラーとなった。生産台数は驚異の1万台。

その間、創業者の息子のジョン(ジャックという愛称で呼ばれていた)は、複雑な工業会社を設立したが、1920年に倒産した。1921年に父親が会社を再建し、しばらくは順調に業績を伸ばした。特にトラックの生産を開始してからは好調だった。しかし、再び問題に直面し、出資者であった鉄鋼メーカーのハドフィールド社に救済されることとなった。

ビーン・カーズ(Bean Cars)
ビーン・カーズ(Bean Cars)

しかし、製品の信頼性が低かったことから評判を落とし、1929年に乗用車、1931年に商用車の生産を終了した。1933年に再び復活を遂げ、自動車部品やエンジンを作るようになった。1956年にスタンダード・トライアンフが買収し、1960年にはレイランド・モーターズの傘下となった。

ブリストル・カーズ(Bristol Cars)

同社は1945年にブリストル飛行機社によって設立された。同社は戦時中、「ボーファイター」などの有名な航空機を輩出し、繁栄を享受していたが、終戦とともに受注が激減したため、自動車会社を設立した。数十年にわたり、ブリストルは高価で奇抜な高級車を生産し、少数の富裕層の顧客を魅了した。

同社最後のモデルは、ダッジバイパーの8.0L V10エンジンを流用したスーパーカー、ファイター(写真)である。最高出力532ps、最大トルク72.5kg-mを発生し、最高速度は約338km/hを誇る。 ファイターは12台ほど生産されたが、2011年に同社は操業を停止した。2015年には、新型ロードスターのバレットとともに復活したが、2020年に再び頓挫した。

ブリストル・カーズ(Bristol Cars)
ブリストル・カーズ(Bristol Cars)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

関連テーマ

おすすめ記事