【心に残る美しき2ドアたち】白いクラウン、ブタ目にブタケツ?セダンベースの国産クーペ10選!

公開 : 2024.12.13 11:45

かつて日本車には、セダンをベースに創られた素敵なクーペや美しい2ドアハードトップが多く存在しました。その中から筆者、木原寛明の心に残る10台を紹介します。

トヨタクラウン 3代目S5#型(1968年)

かつて日本車には、セダンをベースに創られた素敵なクーペや美しい2ドアハードトップが多く存在した。その中から筆者の心に残る10台を紹介する。かなり旧いクルマもあるが、自動車博物館を巡る感覚でご覧になっていただきたい。

2代目までの公用車のイメージを脱却して、3代目クラウンはオーナー層に強くアピールした。『白いクラウン』のキャッチフレーズを聞いたことのある方もいるだろう。それがまさにこの世代のクラウンである。クラス初、またクラウン初となる2ドアハードトップは、そんな3代目のイメージリーダーになった。基本グレードのハードトップとスポーティグレードのハードトップSLをラインナップしていた。

トヨタ・クラウン 3代目S5#型(1968年)
トヨタ・クラウン 3代目S5#型(1968年)    トヨタ

トヨタ・コロナ・マークII  3代目X30/40型(1976~1980年)

コロナの上位機種として、クラウンとのギャップを埋めるべく誕生したマークII。3代目は当時のアメリカ車を思わせるマスクやボディサイドのキャラクターラインが存在感満点だが、当時のクルマ好きは『ブタ目』という謎のニックネームで呼んだものだ。マークIIの定番グレードとなるグランデや、兄弟車のチェイサー、3ナンバー仕様や輸出版のクレシーダは、この世代で設定された。なお、正式な車名はこのあとの4代目までコロナ・マークIIだ。

トヨタ・コロナ・マークII  3代目X30/40型(1976~1980年)
トヨタ・コロナ・マークII  3代目X30/40型(1976~1980年)    トヨタ

トヨタ・コロナ 4代目T80/90型(1970年)

残念ながら全く関係ないところでイメージを損ねてしまったコロナの名前だが、かつてはトヨタの屋台骨を支える車種のひとつで、発展型のマークIIへ統合が検討されながら、この4代目が登場したほどの人気を誇った。それまでに多く見られた三角窓を廃止したスタイリングは『シルエット70』と銘打ち、先進性を主張。2ドアのハードトップは、後端が跳ね上がったサイドウインドウとCピラーで描き出すラインが流麗で、高級感を演出するレザートップも用意された。

トヨタ・コロナ 4代目T80/90型(1970年)
トヨタ・コロナ 4代目T80/90型(1970年)    トヨタ

トヨタ・カリーナ 初代A1#/3#型(1972~1977年)

コロナに近いサイズで、1970年に2ドアと4ドアのセダンが登場したが、メカニズム的にはセリカとの関連性が色濃いカリーナ。 1972年には、同じ2ドアでもセダンとは異なるピラーレスのハードトップを追加した。シャープなボディラインに、ボンネットのダクトやCピラーのルーバーなどを備え、『足のいいやつ』をキャッチフレーズに、同時期のコロナ・ハードトップよりスポーティなイメージで人気を博した。

トヨタ・カリーナ 初代A1#/3#型(1972~1977年)
トヨタ・カリーナ 初代A1#/3#型(1972~1977年)    トヨタ

記事に関わった人々

  • 執筆

    木原寛明

    Hiroaki Kihara

    1965年生まれ。玉川大学では体育会ノリの自動車工学研究部に所属し、まだ未舗装だった峠道を走りまくった。最初の愛車(本当は父のもの)は2代目プレリュード(5MT)。次がフルチューンのランサーEXターボ。卒業してレースの世界へと足を踏み入れたものの、フォーミュラまで乗って都合3年で挫折。26歳で自動車雑誌の編集部の門を叩き、紙時代の『AUTOCAR JAPAN』を経て、気が付けばこの業界に30年以上。そろそろオーバーホールが必要なお年頃ですが頑張ります!
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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