【心に残る美しき2ドアたち】白いクラウン、ブタ目にブタケツ?セダンベースの国産クーペ10選!

公開 : 2024.12.13 11:45

日産セドリック 3代目230型(1971年~1975年)

230型と聞いてピンとこなくても、『西部警察でよく潰されていたセドリック』と書けば、丸目4灯でスラっとしたセダンの姿が思い浮かぶかもしれない。この230型から設定されたハードトップは、角型2灯ヘッドライトと、アメリカンクーペを思わせる小型テールライトがセダンとの識別点。1972年に登場した日本初の4ドアハードトップは、その後の世代でも人気車種となるので話題になりがちだが、2ドアのスタイリッシュさもなかなかのものだった。

日産セドリック 3代目230型(1971年~1975年)
日産セドリック 3代目230型(1971年~1975年)    日産

日産ローレル 2代目C130型(1972年~1977年)

ケンメリこと4代目スカイラインとメカニズムを共用しつつ、高級感を前面に打ち出した2代目ローレルだが、2ドアハードトップの通称は『ブタケツ』。テールライトをバンパーに組み込み、塗装面が広いテール周りを指したのだろうが、実はリアフェンダーからこのテールへかけての造形も凝っていて、呼び名にそぐわぬバックシャン。もっとも、当時はシャコタンにされることが多く、不良のクルマというイメージが色濃くなってしまった。

日産ローレル 2代目C130型(1972年~1977年)
日産ローレル 2代目C130型(1972年~1977年)    日産

日産サニー 2代目B110型(1970~1973年)

700kg前後の軽量FRクーペとして、モータースポーツを志す若いドライバーなどの支持を集めた通称『ワンテン・サニー』。スポーツグレードのGXは、SUツインキャブユニットを搭載し、黒い砲弾型ミラーやタコメーターが走り屋心をくすぐった。さらに、フェアレディZやスカイラインGT-Rと同じ5速MTを積んだのがGX5。5速直結のクロスレシオという本気仕様で、ZやGT-Rが無理でもこれなら……という、手が届きそうな憧れの存在となった。

日産サニー 2代目B110型(1970~1973年)
日産サニー 2代目B110型(1970~1973年)    日産

日産バイオレット 初代710型(1973~1977年)

上級移行したブルーバードに代わり、サニーとのギャップを埋めるために登場したバイオレットは、曲面を多用したスタイリングが特徴。2ドアハードトップはL型テールライトが個性的だが、トランクリッドとの連続性を持たせるためリアウインドウに逆Rガラスを用いるという、大衆車クラスでありながら贅沢な作りもポイントだ。ブルーバード譲りの四輪独立懸架を採用したスポーツグレードのSSSも用意され、1977年には第12回サザンクロスラリーを制している。

日産バイオレット 初代710型(1973~1977年)
日産バイオレット 初代710型(1973~1977年)    日産

ホンダ・レジェンド・クーペ 初代KA3型(1987~1990年)

上位ブランドのアキュラで展開するべく、英国のブリティッシュ・レイランドと共同開発しホンダ初の3ナンバー仕様を設定したレジェンド。1985年に登場したセダンに続き、1987年には2ドアハードトップが追加された。2.7LのV6を横置きするFFで、アメリカ市場を見据えた3ナンバー専用モデル。スタイリングは、ブリスターフェンダーを備えるボディの伸びやかさを、ピラーの細いキャビンが強調している。

ホンダ・レジェンド・クーペ 初代KA3型(1987~1990年)
ホンダ・レジェンド・クーペ 初代KA3型(1987~1990年)    ホンダ

記事に関わった人々

  • 執筆

    木原寛明

    Hiroaki Kihara

    1965年生まれ。玉川大学では体育会ノリの自動車工学研究部に所属し、まだ未舗装だった峠道を走りまくった。最初の愛車(本当は父のもの)は2代目プレリュード(5MT)。次がフルチューンのランサーEXターボ。卒業してレースの世界へと足を踏み入れたものの、フォーミュラまで乗って都合3年で挫折。26歳で自動車雑誌の編集部の門を叩き、紙時代の『AUTOCAR JAPAN』を経て、気が付けばこの業界に30年以上。そろそろオーバーホールが必要なお年頃ですが頑張ります!
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

関連テーマ

おすすめ記事

 

人気記事