おもちゃではありません 世界の奇妙なマイクロカー 37選 後編
公開 : 2024.12.15 18:25
戦後間もない1950年代、安価な乗り物として「マイクロカー」という超小型の乗用車が普及した。必要最低限の機能を備えたエコノミーカーから、ちょっと贅沢なスポーツモデルまで、多種多様なマイクロカーを紹介する。
もくじ
ーオッパーマン・ユニカー(1958年)
ーオッパーマン・スターリング(1959年)
ーロヴィンD3(1948年)
ーパワードライブ(1955年)
ーモシェCM-125リュクス(1951年)
ーモシェCM 125 Y (1954)
ーグラース・ゴッゴモビル(1955年)
ーゴッゴモビル・クーペ(1957年)
ーゴッゴモビル・ダート(1959年)
ーフェアソープ・アトム(1955年)
ーラッソン(1951年)
ーライトバーン・ゼータ(1963年)
ーライトバーン・ゼータ・スポーツ(1964年)
ーFMR TG500(1957年)
ースパッツ(1956年)
ーエクサム(1983年)
ーリジェ・アンブラ(2008年)
ースマート・フォーツー(1998年)
ーレヴァGウィズ(2001年)
ールノー・トゥイージー
オッパーマン・ユニカー(1958年)
(翻訳者注:この記事は後編です。前編と合わせてお楽しみください)
英国のオッパーマンはトラクターメーカーであったが、1950年代半ばにマイクロカーの生産に乗り出した。その最初のモデルがグラスファイバー製ボディを持つユニカーで、328ccの2気筒エンジンを搭載している。生産コストを削減するために、左右の後輪をぎゅっと近づけて配置し、ディファレンシャルを省いた。約200台が生産された。
オッパーマン・スターリング(1959年)
オッパーマンは1958年に高級路線への転換を図り、スターリングというモデルを投入する。しかし、これは良い計画とは言えなかった。なぜなら、1959年にBMCミニが登場し、単独でマイクロカー市場のライバルの大部分を駆逐してしまったからだ。その結果、スターリングはわずか2台しか生産されなかったが、そのうち少なくとも1台が現存している。
ロヴィンD3(1948年)
フランスのマイクロカーメーカーであるロヴィンは、1946年に260ccのD1を発表した。翌年にはD2を、そして1948年には423ccのフラットツインエンジンを搭載したD3を導入している。D3は1948年から1950年にかけて約800台が生産され、後継モデルのD4にバトンタッチした。D3は2人乗りとして販売されたが、なぜか広告には3人乗車のイラストが掲載されている。安全性や広告内容の誤りについては、まだ認識が甘かったのだろう。
パワードライブ(1955年)
この広告を見ると、三輪車のパワードライブが1959年型キャデラックほどの大きさであると勘違いしてしまいそうだが、実際には全長は9フィート(2743mm)以下である。一般的なマイクロカーよりも大型ではあるが、動力は322ccのアンザーニ製2ストロークエンジンで、これは当時のライバルと同等であった。
モシェCM-125リュクス(1951年)
フランス人のジョルジュ・モシェ氏はミニマリズムの熱心な信奉者であった。1951年に発表されたCM-125リュクスを見れば明らかだろう。125ccの単気筒エンジンから生み出されるパワーはわずか3.5psで、全体的に極めてシンプルだが、価格も維持費も非常に安価であったため、1250台ほどが生産された。
モシェCM 125 Y (1954)
初期のマイクロカーで成功をおさめたモシェ氏は、高級化を決意し、1954年にCM 125 Yを発表した。完全密閉型のボディを備え、125ccのエンジンを搭載し、最高出力5psを誇った。1958年までに1100台以上が生産された。