おもちゃではありません 世界の奇妙なマイクロカー 37選 後編

公開 : 2024.12.15 18:25

グラース・ゴッゴモビル(1955年)

最も有名なマイクロカーの1つであるグラース・ゴッゴモビルの魅力は、その流線型の美しいボディラインにある。1955年にドイツで発売され、当初は250ccエンジンを搭載していたが、後に300ccまたは400ccを選択できるようになっていた。英国ではリージェント(Regent)という名で販売されていた。

グラース・ゴッゴモビル(1955年)
グラース・ゴッゴモビル(1955年)

ゴッゴモビル・クーペ(1957年)

前項のセダンの成功に後押しされたハンス・グラース氏は、同じプラットフォームを使用して、よりスポーティーなモデルを開発した。このクーペは、エンジンによってTS300やTS400といった複数のタイプがあり、英国ではメイフェア(Mayfair)として販売された。

ゴッゴモビル・クーペ(1957年)
ゴッゴモビル・クーペ(1957年)

ゴッゴモビル・ダート(1959年)

オーストラリアのグラース販売代理店を営んでいたビル・バックル氏は、クーペよりもさらにスポーティーなモデルに対する需要を見込み、独自のカブリオレ仕様を発売した。セダンのプラットフォームに300ccまたは400ccエンジンを搭載し、ダートと名付けられた。1959年から1961年の間に約700台が生産された。

ゴッゴモビル・ダート(1959年)
ゴッゴモビル・ダート(1959年)

フェアソープ・アトム(1955年)

第二次世界大戦で活躍した英国空軍の英雄DC・ベネット氏が1954年にロンドン郊外に設立したのがフェアソープ社だ。マイクロカーよりもプラスチック製ボディのスポーツカーを専門としていたが、最初のモデルは2気筒でグラスファイバー製ボディの2人乗りのアトムだった。贅沢とは無縁のクルマである。

フェアソープ・アトム(1955年)
フェアソープ・アトム(1955年)

ラッソン(1951年)

1951年と1952年のわずか2年間しか生産されなかったラッソンは、滑稽なほどに小さすぎる車輪、250ccのエクセルシア製2気筒エンジン、そして合金パネルのボディが特徴的だ。しかし、500ポンド近い高価格設定により、生産台数は2桁にも届かなかった。その後、プロジェクトはフェアソープ社に買収された。

ラッソン(1951年)
ラッソン(1951年)

ライトバーン・ゼータ(1963年)

オーストラリアのライトバーン社は、セメントミキサーや洗濯機のメーカーであったが、1963年に手頃な価格の小型車の生産に乗り出すことを決めた。その最初のモデルが、324ccのヴィリアーズ製2気筒エンジンを搭載した前輪駆動のゼータである。1963年から1965年にかけて、商用車仕様のゼータ・ユーティリティを含めて約400台が生産された。

ライトバーン・ゼータ(1963年)
ライトバーン・ゼータ(1963年)

ライトバーン・ゼータ・スポーツ(1964年)

ライトバーンはもう少し刺激的なものをと、1964年にゼータ・スポーツを発売した。498ccの2ストロークエンジンが搭載され、最高出力21psを発揮した。しかし、オーストラリア市場では明らかに過剰な仕様であり、わずか48台しか生産されなかった。

ライトバーン・ゼータ・スポーツ(1964年)
ライトバーン・ゼータ・スポーツ(1964年)

記事に関わった人々

  • AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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