第7回 コッパ ディ 鈴鹿
2015.01.17-18
鈴鹿サーキットは、豪快な風雲児であり、常に未来にまっしぐらに向う本田宗一郎の非常識的な創見から生まれた。日本でも戦前から自動車レースは開催されており、他ならぬ本田宗一郎もレーサーとして出場していたが、鈴鹿サーキットが1962年に造られたことによって、急速に世界の水準に近づいて行ったのである。ここから日本のモータースポーツが生まれた、と言っても過言ではないだろう。
名古屋レーシングクラブ(NRC)と関西スポーツカークラブ(KSCC)の主催によって鈴鹿サーキット伝統の開幕戦である『新春ゴールデン・トロフィー』が今年も開催された。
鈴鹿サーキットが出来てから、NRCやKSCCは多くのレースを主催してきた。生沢 徹もKSCC主催のレースでプリンス・スカイラインやホンダS600で優勝して、そのキャリアを築いて来た。
NRCは鈴鹿300kmレースなどの主催をしてきたが、今から45年前の同月同日に開催された鈴鹿300kmレースでは、当時のヨーロッパのレースの第一線で闘っていたポルシェ908や910やフォードGT40などが出場していたのである。
その流れをくんで、今でも鈴鹿の開幕戦はNRCとKSCCが主催をしているのだ。但し、現在では、かつてのヒーローたちが参加するヒストリックカー・レースとしての開催となり、コッパ ディ 鈴鹿もその一齣として催されて、今年で7回目となった。
コッパ ディ 鈴鹿の完熟走行の先導車となったフェラーリ・カリフォルニアTをドライブしたのは長坂尚樹選手。トップ・フォーミュラでも活躍したが、とりわけスポーツカーやツーリングカーでの活躍が有名で、BMW M1やフォード・シエラでの夥しい優勝も記憶に鮮やかだ。1990年の雨となった富士1000kmレースでは、ローランド・ラッツェンバーガーと組んでトヨタ89CVに優勝をもたらした。また富士1000kmを2回制し、鈴鹿1000kmでは3回も優勝している、日本レース界のレジェンドだ。
今回の出場車で最も注目を集めたのは、CDパナールだった。このプロトタイプは1964年のル・マン・テストディで、ユノディエールの直線で最高速の記録に挑戦するためにだけ作られた幻のレーシングカーだ。設計者のロベルト・シューレは後にマトラMS640の設計にも携わった。
コッパ・シリーズのオフィシャル・スポンサーを勤めるのは、ドイツのLIQUI MOLY /リキモリだ。ドイツ本国ではとても評価の高いオイルで、様々なレース・チームをスポンサードしている。今回はリキモリ・カラーのミニで参加した。
コッパ ディ 鈴鹿はレース形式ではなくタイム・アタックのイベントだが、新旧様々なクルマたちがサーキットを駆け巡る光景は壮観だ。時には雪も舞う寒風の季節だが、参加者たちの熱心な走りは観客にも伝わり、寒さを吹き飛ばすホットで昂揚した気持ちになるのだった。