他人へ響く美しさとは限らない ベントレー・コンチネンタル S2(2) 財力に物をいわせた独自ボディ

公開 : 2024.12.28 17:46

ベントレー・マニアの富豪が作らせた、コンチネンタル S2のショートテール 改造に否定的だったHJマリナー社 約600mmも短い全長 内装はオリジナル 英編集部が不自然なワンオフをご紹介

ボディの改造へ否定的だったHJマリナー社

大富豪のロデリック・ジョージ・マクロード氏は、1952年にもベントレーMk VIを購入。HJマリナー社のライトウェイト・リムジンボディをベースに、リアのオーバーハングを切断し、ショートシャシーへ架装された。

これにも、アクリル製のルーフパネルが装備された。しかし、それ以上の改造は施されなかったようだ。

ベントレー・コンチネンタル S2 ショートテール(ワンオフモデル/1960年)
ベントレー・コンチネンタル S2 ショートテール(ワンオフモデル/1960年)

1955年には、ベントレーRタイプ・コンチネンタルを取得。マリナー社による標準ボディほど優雅ではなかったが、湾曲したリアウインドウが与えられた、美しいファストバック・ボディを独自に作らせている。塗装色はダークグリーンだった。

スペアタイヤが荷室の殆どを占めたというが、基本的なシルエットはRタイプ・コンチネンタルと遠からず、バランスが取れていた。しかし2番目のオーナーの時代に、火災で失われている。

その次にマクロードが欲したのが、今回ご紹介するベントレー・コンチネンタル S2。オリジナルの発売は1959年で、既存のボディ、デザイン番号7514に手を加えるという手法が選ばれた。

その頃ロールス・ロイス傘下に収まっていたHJマリナー社は、過去最も美しいと評されるボディへ手を加えることに否定的だった。業務が立て込み、依頼を引き受ける余裕がなかったというのが、表向きの説明ではあったが。

通常より約600mm短いボディ 内装はオリジナル

例によって、彼はショートテール化を望んだ。最終的にボディの改変は、ロンドン南西部、バタシー地区に拠点を構えたコーチビルダー、FLMパネルクラフト社へ下請けに出されている。

シャシー番号はBC106ARで、塗装色はマット・ブラック。1960年6月に納車されている。果たして、スタイリングは成功作といえないだろう。実用性も、高まっていたわけではなかった。

ベントレー・コンチネンタル S2 ショートテール(ワンオフモデル/1960年)
ベントレー・コンチネンタル S2 ショートテール(ワンオフモデル/1960年)

これ以前に彼が希望したボディと同様に、荷室の殆どをスペアタイヤが専有。リアフェンダーが切り詰められたことで、給油リッドの場所も削られ、ガソリンを補充するにはトランクリッドを開く必要があった。

全長は、通常のコンチネンタル S2より約600mmも短い。テールゲートは完全にリデザインされ、バックランプの位置もリアバンパーとテールゲートの隙間へ移設。フロントバンパーには、ゴムで保護された丸いオーバーライダーが与えられた。

サイドマーカーは、フェンダーの低い位置へ。四角いフォグランプも装備された。

キャビン側は、ロイター社製のリクライニング・シートが備わり、オリジナルのまま。ベントレーとしては、最も美しいインテリアの1つだろう。リアシートはフルサイズで、大人が問題なく座れる。ダッシュボードには、大きなタコメーターが備わる。

パワーウインドウが装備され、この頃には軽量化より快適性へマクロードの考え方がシフトしていたことがうかがえる。それでも、アクリル製ルーフパネルに対する思い入れは、変わらなかったようだが。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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