クルマの内装に「デジタル画面」は不要 アナログが一番です 英国記者の視点

公開 : 2024.12.18 18:05

適切なインパネとは、必要な情報をすべて提供しつつ、運転の楽しさを邪魔しないものだ。メーターのデジタル化が進んでいるが、もう一度、アナログの良さを思い出してほしい。英国記者はそう願っている。

職人技やデザインのセンスを感じたい

AUTOCARのテスト用車両を自由に使え、20年落ちのクルマを所有する上での一般的な不快感や金銭的負担があるにもかかわらず、筆者は少し傷んだミニ・クーパーSを手元に置いている。

その理由の一部は実用的かつ義務論的なものだ。ヒースロー空港までいつでも走れるし、客観的なレビュー担当者としては、広報車に全面的に頼って移動するのはかなり疑問だ。

ミニ・クーパーS(画像は第2世代)
ミニ・クーパーS(画像は第2世代)    AUTOCAR

しかし、筆者が今でもミニを愛する大きな理由は、いくらか現代的ではある(エアバッグやスタビリティコントロールを搭載している)ものの、かなりアナログであることだ。クラッチ操作やヒール・アンド・トゥによるシフトダウンを忘れないようにしてくれるし、デジタル画面もほとんどない。

走行距離と燃費の表示用に、ローテクなLCDディスプレイが1つあるが、それだけだ。静寂のオアシスである。

運転していないときは、多くの人と同じように、1日の大半を画面を見つめて過ごしている。画面は便利なものだ。携帯電話のグーグル・マップがなければ、自分がどこにいるのかもわからないだろうし、タイプライターで雑誌の原稿を書いていたら、変な目で見られてしまうだろう。

しかし、まぶしい光や色、凝ったグラフィックは感覚に負荷をかけすぎ、かなりの疲労感を引き起こす。

毎週、銀河をまたぐほどの距離を運転しているにもかかわらず、運転は筆者にとって逃避であり、禅のひとときである。もちろん、カーナビは便利だが、自分がどこに向かっているのかをちゃんと把握しているときには、運転に集中したいと思うこともある。

筆者に必要なのはレブカウンターとスピードメーターの針だけであり、視界の端で踊っているキツネのキャラクター(スマート#1のこと)は必要ない。

デジタル式のインパネにはますますうんざりしている。カスタマイズが可能で、ドライバーが望む情報を表示できるという約束は、ほとんど実現しない。その代わり、明るさが常に不適切な、おかしなスピードメーターが出てくる。

一方、アナログメーターははるかにわかりやすく、職人技やデザインのセンスを感じさせるものが多い。筆者はブガッティの最新の高級玩具トゥールビヨンにはほとんど興味がないが、アナログ時計を思わせるインパネのデザインは素晴らしいと思う。

モーガン・プラスフォーやプラスシックスのドライバー用ディスプレイはデジタル式だが、小さくて簡単に無視できてしまう。一方、中央の大きな丸い計器は、とても特徴的だ。それが、これらのクルマを長距離運転しても不思議なくらいリラックスできると感じる理由の1つだ。

筆者は、昔ながらの雰囲気に完全に傾倒し、画面を完全に廃止してほしいと願っている。

もっと手頃な、画面がほとんどない現代のクルマを例に出そうと必死に考えているが、ケータハム・セブンやその他の超ニッチなものを除いて、思いつかない。キア・ピカントでさえ、スクリーンが2つも搭載されている。

筆者は時計には興味がないが、人々が気にしているものは、装飾的でクラシックなアナログ式である傾向がある。つまり、我々が日常的に使用する機械装置には、そのようなものに対する需要が明らかに存在しているということだ。

画面は便利なので、今後も残っていくだろう。しかし、クルマのインテリアデザイナーは、黒い長方形の後ろに隠れることをやめるべき時が来ている。

記事に関わった人々

  • 執筆

    イリヤ・バプラート

    Illya Verpraet

    英国編集部ライター
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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