戦闘機から着想を得た、スチームパンクな1920年代のレーシングカー 歴史アーカイブ
公開 : 2024.12.19 06:05
ヴォワザンは自動車設計の常識を打ち破る革新的なクルマを生産していた。今回は特にユニークな「タイプC6ラボラトワール」について、当時のAUTOCAR誌の記事とともに振り返る。
航空技術を活かした奇抜な設計 当時の記事を振り返る
以前、自動車ボディデザインの進化を振り返った際、1923年のフランスグランプリのために特別に設計されたブガッティのタイプ32「タンク」を取り上げた。おそらく、4本の車輪すべてがボディサイドで囲まれた最初のクルマではないかとAUTOCARは考えた。
タンクは当時の人々の話題をさらったが、今回注目したいのは、同じレースでデビューしたもう1台のレーシングカー、アヴィオン・ヴォワザンのタイプC6ラボラトワール(Type C6 Laboratoire)である。
同時代の他のクルマとはかけ離れた存在であり、今日では、1927年の画期的なSF映画『メトロポリス』や、レトロな想像から生まれた「スチームパンク」スタイルの作品のようにも見える。
「レーシングカー設計者の多くは飛行船のような流線型、すなわち丸みを帯びた前方部分と長い車体、先細りするテールを追求していたが、C6は飛行機の翼のようなプロファイルを持っていると表現できるかもしれない」と、1923年発行のAUTOCAR誌には書かれている。
実際、ガブリエル・ヴォワザンは著名な航空技術者であった。1907年、彼は欧州で初めて民間航空機工場で1分以上飛行可能な航空機を製造したが、同工場は第一次世界大戦でフランス空軍に兵器を供給することになった。これが彼にとって精神的な重荷となり、やがて自動車設計に転向することを決意した。
C6について、当時のAUTOCARは次のように続けた。「下面は完全に平らで、路面に可能な限り近づけられており、上面はかなりのキャンバーがついている」
「前縁部分は尖った形状で、ラジエーターは上面からわずかに突き出している。フェンダーが翼のように伸び、ガソリンタンクはドライバーとメカニックの後ろに配置され、後縁はぎゅっと絞り込まれている」
「後部のトレッド幅を約75cmに縮小することで、2本の後輪がボディとともに絞られ、後部車軸、スプリング、ショックアブソーバーはすべて内部に収められている」
「デザインが独創的なだけでなく、クルマ全体の構造も従来の常識を覆すものだ。シャシーのフレーム部材はなく、代わりに、木製、スチールメンバー、スチールチューブ、パネル用のアルミシートといった素材で、飛行機の胴体のように組み上げられている」
つまり、これはモノコック構造であり、当時はまだ一般的なものではなかった。そして重量わずか660kgと、競合他社よりも大幅に軽かった。
ちなみに、フロントに小さなプロペラのようなものがあるが、これは冷却システムを動かすための発電機である。
残念ながら、革新的であるがゆえに、C6はデビュー時に苦戦を強いられた。トゥールでレースに出場した4台は壊れやすく、800kmを走り切ったのは1台だけで、運転していたのは共同設計者のアンドレ・ルフェーヴルであった。
ヴォワザンが再びレースに参加することはなかったが、市販車での革新は続いた。
1925年、AUTOCARはスポーティな4.0LのC5に試乗し、「本物のサラブレッドの大きな特徴である、並外れた頑丈さを備えている」と評価している。
「ドライバーは自分の思い通りに動くという確信を持って、落ち着いてクルマを操ることができる。型破りなナイトのスリーブバルブエンジンは十分なパワーがある」
「コーナリング時には剛性が非常に大きな効果を発揮し、実質的にロールしない」
「ステアリングは軽くダイレクトで、サスペンションシステムも非常によく調整されている」
1930年代に入ると、ヴォワザンは流行のアールデコ調に大きく舵を切り、C25エアロダイン(4つの円形の天窓が特徴的 )、威圧的なほどずんぐりとしたC20マイロード(ハロウィンのモンスターにぴったり)、そして優雅な丸みを帯びたC27エアロスポーツ(めまいがするほど幾何学的な模様のシート)など、富裕層向けの高級車を製作した。
一方、AUTOCARは、2基の直列6気筒エンジンを連結して直列12気筒エンジン(ヴォワザンはこれを「V12L」と呼んだ)にすることや、車体中央部に一対の車輪を配置し、前後に1つずつ配置した車輪で操舵する流線型のクルマなど、ヴォワザンの構想について取り上げた。
第二次世界大戦後に国有化されたヴォワザンは、二度と自動車を生産することはなかったが、その傑作の数々は現在、数百万ドルの価値があり、コンクール・デレガンスでしばしば優勝している。