レア車も発掘 「風の丘」に残された廃車 40選(前編) ジャンクヤード探訪記

公開 : 2024.12.22 18:05

トヨタカローラSR5

3代目トヨタ・カローラ(1975~1981年)は、ガソリン代を節約したいという倹約志向のドライバーにハマり、米国で大ヒットした。この個体はSR5スポーツクーペで、おそらく1976年頃に生産されたものだ。この角度から見るとかなり良い状態に見えるが、後ろからの激しい追突事故により道路を離れざるを得なくなったようだ。

トヨタ・カローラSR5
トヨタ・カローラSR5

オールズモビル・ヴィスタクルーザー(1974年)

この個体が出荷された1974年当時、オールズモビル・ヴィスタクルーザーは生産終了間近であった。1964年に初めて発売されたワゴン車で、1960年代から1970年代初頭にかけて、年間2万人以上の購入者を獲得していた。しかし、3代目(1973~1977年)が登場する頃には需要が減少していた。1974年には6人乗りと8人乗りのモデルを合わせて1万1000台強が販売された。

オールズモビル・ヴィスタクルーザー(1974年)
オールズモビル・ヴィスタクルーザー(1974年)

シボレー・セダンデリバリー

1946年から1948年にかけて、シボレー・スタイルマスター・セダンデリバリーにはほとんど変化がなかったが、主な変更点はグリルの違いだ。この個体にはクロームなどの光沢部品がまったく残っていないため、製造年を正確に特定するのは難しい。

シボレーは1928年に最初のセダンデリバリーを製造し、最後のモデルは1960年にラインオフした。

シボレー・セダンデリバリー
シボレー・セダンデリバリー

オールズモビル88(1956年)

「ウィンドウ・ヒル」というヤードの名前が示すように、この場所では風が吹き荒れる。取材班が訪れたときはそよ風が吹いていたが、1956年型オールズモビル88のボンネットの下を吹き抜けると不気味な音がした。残念ながら、ロケットV8エンジンはかなり前に失われてしまったため、エンジンルームから聞こえるのはその音だけだ。

オールズモビル88(1956年)
オールズモビル88(1956年)

モーリス・マイナー

モーリス・マイナーは大成功を収めたクルマで、1948年から1971年の間に160万台以上を売り上げた。しかし、本国英国では非常に人気があったものの、米国の消費者にはあまり魅力を感じさせるものではなかった。20年間で販売されたのはわずか5万6640台で、その大半は1957年から1961年の間に売れた。売上の大半は東海岸と西海岸に集中しているため、中西部のミネソタ州では幻のような存在である。

モーリス・マイナー
モーリス・マイナー

シボレー・ベルエア(1959年)

この1959年型シボレー・ベルエアの4ドア・セダンは、まるでコメディ映画のアクションシーンでジャンプしている最中に、誰かがテレビのリモコンの「一時停止」ボタンを押したかのようだ。

1990年代、このヤードは今よりもずっと広大で、何万台ものクルマが隣り合わせに並んでいた。残念ながら、その多くは破砕機にかけられ、広大な空きスペースが残されている。

シボレー・ベルエア(1959年)
シボレー・ベルエア(1959年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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