旧車愛好家の「聖地」で眠る珍しい廃車 40選(前編) ジャンクヤード探訪記

公開 : 2024.12.28 18:05

「クルマ好きなら一度は訪れるべき場所」と記者も激推しする米国最大級のジャンクヤード、フレンチレイク・オートパーツで見つけた興味深い廃車の数々を写真とともに紹介する。

世界から愛好家が集まる

1956年の創業以来、フレンチレイク・オートパーツ(通称:ジャンクタウンUSA)は、世界中のクラシックカー愛好家にとって巡礼の地となっている。

ここはミネソタ州ミネアポリスから北西に約100kmの郊外に位置する広大なジャンクヤードで、1920年代から現代に至るまでの膨大な数の車両が保管されている。来訪者は、1台1台が地面にしっかりと置かれ、製造年が明確に表示されたクルマが整然と並ぶこの部品置き場を探索し、入手困難な部品を見つけ出すことができる。

米ミネソタ州の巨大ジャンクヤードで見つけた廃車を写真とともに紹介する。
米ミネソタ州の巨大ジャンクヤードで見つけた廃車を写真とともに紹介する。

ヤードの紹介

フレンチレイク・オートパーツでは部品の配送も行っているが、実際に足を運ぶ体験に勝るものはない。筆者のように、歴史あるクルマの列を数時間かけて歩き回り、隠れた一品を発掘する旅を計画してほしい。クルマ好きなら誰もが一度は訪れるべき場所である。

フレンチレイク・オートパーツ
フレンチレイク・オートパーツ

スチュードベーカー・ホーク(1960年)

このホークが初めて空を飛んだ1960年には、すでにスチュードベーカーの売り上げは急降下していた。製品ラインナップは縮小され、かつてはゴールドやシルバーのバリエーションモデルがあったにもかかわらず、ホークだけが残された。経営の合理化が図られたが、売り上げは下降を続け、同年に販売されたホークはわずか4280台だった。

残念ながら、この写真のホークは腐食により翼が折れてしまい、最終的にフレンチレイク・オートパーツに不時着せざるを得なかった。

スチュードベーカー・ホーク(1960年)
スチュードベーカー・ホーク(1960年)

シボレー・モンテカルロ(1970年)

時の流れと部品取りによってみすぼらしい姿となったこのシボレー・モンテカルロは、ヤードの片隅で寂しく朽ち果てている。この個体は1970年に製造されたものだが、これはシボレーの人気2ドア・クーペだったモンテカルロのデビューイヤーであり、初年度に15万9341台が販売された。

しかし、ミシガン州フリントの組み立て工場での労働争議が主な原因となり、販売台数は当初の予測18万5000台を下回った。

シボレー・モンテカルロ(1970年)
シボレー・モンテカルロ(1970年)

キャデラック・エルドラド(1980年)

1952年に発売されたキャデラック・エルドラドは、12世代50年間にわたる驚異的な歴史を誇る。最も販売台数が多かったのは、1979年から1985年まで製造された10代目モデルで、ビュイック・リビエラやオールズモビル・トロネードとプラットフォームを共有している。

このシリーズは非常に人気があった。ここに掲載されている高級クーペは1980年に製造されたもので、同年に販売された5万2685台のうちの1台である。

キャデラック・エルドラド(1980年)
キャデラック・エルドラド(1980年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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