旧車愛好家の「聖地」で眠る珍しい廃車 40選(前編) ジャンクヤード探訪記

公開 : 2024.12.28 18:05

ナッシュ・スーパー(1948年)

このナッシュ・スーパーの屋根には、何か巨大なものが落下したに違いない。今屋根の上に載っているバンパーよりもはるかに大きく、重い何かが直撃したのだ。衝撃はあまりにもひどかったため、ドアはきちんと閉まらなくなり、車内は風雨にさらされるようになった。

この個体は、1948年にナッシュが生産した11万台のうちの1台である。同年、ナッシュは米国で11番目に人気のあるブランドとなった。

ナッシュ・スーパー(1948年)
ナッシュ・スーパー(1948年)

エドセル・コルセア(1959年)

エドセルは、1959年に米国でわずか4万4891台しか販売されなかった、自動車史上最も悪名高い失敗の1つかもしれないが、ご覧の通り、かなりの台数がフレンチレイク・オートパーツに集まっている。カメラに最も近いのは、1959年型のコルセアの2ドア・ハードトップだ。生産台数は2500台以下であり、こうしたクルマが解体場で見つかることはまずない。

エドセル・コルセア(1959年)
エドセル・コルセア(1959年)

ポンティアック・グランプリ(1978年)

こちらの1978年型ポンティアック・グランプリは、特に希少なわけでもなく、また特に人気があるわけでもないかもしれないが、エンジンがないことを除けば、ほぼ完全な状態である。大幅な小型化が図られた5代目(1978~1987年)の初期モデルだ。デビュー年には22万8444台を売り上げて好調な滑り出しを見せたものの、1987年には販売台数はわずか1万6542台にまで落ち込んだ。

ポンティアック・グランプリ(1978年)
ポンティアック・グランプリ(1978年)

サーブ99(1977年)

サーブ99(1968~1984年)は世界的にそれなりの成功を収め、50万台以上を販売したが、米国市場ではあまりヒットしなかった。米国ではニッチな車種と見なされ、安全性、耐久性、性能を重視する特定の購買層にのみ人気があった。

これは1977年型の個体は、ルーフにダメージがあるものの、驚くほどきれいで、ほとんど錆びていない。しかし、ご覧の通り、すぐに買って乗れるわけではない。

サーブ99(1977年)
サーブ99(1977年)

プリムス・フューリー・ステーションワゴン(1965年)

窓に書かれた日付から判断すると、この1965年型プリムス・フューリーIIIステーションワゴンは、筆者が訪れるちょうど1か月前の2023年8月にフレンチレイク・オートパーツに入庫したようだ。部品目当ての収集家たちが、ボンネット、フェンダー、ヘッドライトを外すのに時間はかからなかった。6人乗りと9人乗りのモデルが混在し、販売台数はわずか1万8477台だったため、部品の需要が高いのも頷ける。

プリムス・フューリー・ステーションワゴン(1965年)
プリムス・フューリー・ステーションワゴン(1965年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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