さようなら、Bowさん【長尾循の古今東西モデルカーよもやま話:第2回】

公開 : 2024.12.25 17:05

仕事での接点

そんな自分が企画室ネコ(後のネコ・パブリッシング)に社内デザイナーとして入社し、スクランブル・カー・マガジン(後のカー・マガジン)やモデル・カーズで、あのBowさんと仕事で関わるようになるのですから、人生とは不思議なものです。

ちなみに生まれて初めて編集部でBowさんの原画を目にしたのは、1985年のこと。10月26日発売のスクランブル・カー・マガジン70号の表紙用に描かれたジャガーEタイプ・ライトウェイトの絵でした。その迫力とオーラは、やはり原画ならではの強烈な存在感。

Bowさんといえば、愛車のトライアンフTR3。その絵は、どんなクルマよりも愛に満ちていた気がします。
Bowさんといえば、愛車のトライアンフTR3。その絵は、どんなクルマよりも愛に満ちていた気がします。    長尾循

昨今では一口にクルマ趣味と言ってもやたら細分化され、それぞれのジャンル間の往来は少ない様に見受けられますが、現在よりも情報量が少なく、その入手経路もシンプルで限られていたBowさん世代(と、そのフォロワー世代)は、クルマ趣味に関して共有できている情報が、むしろ今よりも大きかったような気がします。

レーシングカーから働くクルマ、実車はもちろんミニカーやプラモデル、スロットレーシングカーといった模型も、1960年代の自動車少年&クルマ好き青年達にとっては共通言語のひとつ。ジム・クラークのロータスもコックスの1/24シャパラルも、キャロル・シェルビーのアストン マーティンもタミヤの1/12ホンダF1も、TVドラマ『ラットパトロール』のウィリスMBもマッチボックスのミニカーも、憧れのクルマという点では全く平等。分け隔てなく語られていた様に思えるのです。

Bowさんの残したもの

私の家とBowさんのご自宅が比較的近所ということもあり、自分が定年退職後にフリーランスとなってからも、駅前の喫茶店や甲州街道沿いのファミレスでちょいちょいお会いする機会はありました。仕事の話でお会いすることもあればそうでない時もありましたが、いずれの場合でも会話の内容はほとんどがクルマのこと。

そんな時にBowさんは「ナガオクンは模型も好きなんだよね。だったらこれ持っていきなよ。僕はもうこれ使わないから」と、ちょくちょく古いミニカーやプラモデルをくれたりもしました。

自宅の作業部屋に点在している、Bowさんから頂いたミニカーやプラモデル。
自宅の作業部屋に点在している、Bowさんから頂いたミニカーやプラモデル。    長尾循

いま、自宅の作業部屋にはBowさんから譲り受けたそれらモデルカーが点在しています。大抵の場合、それはプラモデルだったら作りかけだったり、ミニカーだったら箱なしで傷だらけだったりと、ビンテージトーイ専門店で高額査定がつくような、そんなミントコンディションじゃありません。

しかしそのラインナップを見ていると、これが見事にBowさんの描く絵の世界観と一致します。知らない人からすればただの壊れたミニカーやプラモデルですが、私にとってこれらはいまやBowさんとの思い出の縁なのです。

仕事とか趣味とかの垣根を超え、クルマ好きのお手本ともいえた存在。そんなBowさんと同時代を過ごせた僥倖にただただ感謝。

編集担当より追記

長尾さんが編集長の頃、私は副編集長としてカー・マガジンに所属し、Bowさんとは何度もご一緒しました。打ち合わせもそこそこに、「今クルマを買うとしたら何を選ぶ?」、「予算はいくらでもいいから買いたい夢のクルマは何?」など、常に次に買いたいクルマの話をされていたのが懐かしいです。

なおカー・マガジンでは当時、名前単体の時は『Bow。』、さん付けの時は『Bowさん』と表記していましたので、今回もそれに従いました。この場をお借りしてBowさんのご冥福をお祈り申し上げます。

Bowさん、本当にありがとうございました。
Bowさん、本当にありがとうございました。    長尾循

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    長尾循

    Jun Nagao

    1962年生まれ。企画室ネコ時代を知る最後の世代としてモデル・カーズとカー・マガジンの編集に携わったのち定年退職。子供の頃からの夢「クルマと模型で遊んで暮らす人生」を目指し(既に実践中か?)今なおフリーランスとして仕事に追われる日々。1985年に買ったスーパーセブンにいまだに乗り続けている進歩のない人。
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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