唯一の「卵型」ボディ! ウーヴォ・フェラーリ(1) アマチュアドライバーが追求したスピード

公開 : 2025.01.11 17:45

アマチュアレーサーの依頼で、1950年代に作られた唯一無二のフェラーリ シャシーは166MM エンジンは212のV12 フィレンツェの公道レースで優勝 英編集部が超希少な1台をご紹介

アマチュアドライバーが考案したフェラーリ

グレートブリテン島中南部、ブレナム宮殿の前庭へ卵型のボディが滑り込む。トリプル・ウェーバーキャブレターに強化クラッチが組まれ、全開での疾走が前提になっている。上品な車寄せが似合うモデルとはいえない。

V12エンジンが不意に咳き込み、ストールしないようアクセルペダルを軽く煽る。来場者たちのスマートフォンが、一斉に向けられる。指定された場所に止め、小さなドアを開く。改めて独特なフォルムだな、と感慨にふける。

ウーヴォ・フェラーリ(1951年/ワンオフモデル)
ウーヴォ・フェラーリ(1951年/ワンオフモデル)

2024年に開かれたコンクール・デレガンス、サロン・プリヴェの開催前夜には、かなりレアなクラシックカーが次々と搬入された。その中で、このシルバーのフェラーリは圧倒的な存在感を放っていた。

考案したのは、アマチュア・レーシングドライバーのジャンニーノ・マルゾット氏。近年は、イタリア語で卵を意味する「ウーヴォ」フェラーリと呼ばれている。

ジャンニーノは、ヴィットリオとウンベルト、パオロという3人の兄弟を持つ、裕福な家庭に生まれたイタリア人。1940年代後半から1950年代前半という短い期間に、兄弟でモータースポーツに取り組み、小さくない成功を収めた。

プロではなく、参戦数は多くなかった。ジェントルマン・ドライバーと呼ばれることも多かったが、それは言葉足らずな表現だと思う。フェラーリというブランドへ魅了され、エンツォ・フェラーリ氏へ資金を提供する関係にあった。

一流の運転スキルを有していたジャンニーノ

フェラーリのファクトリーチーム・ドライバーとして、レースへ出場するほどの運転技術も有していた。「彼は優秀なプロドライバーになれたかもしれません。もしかすると、チャンピオンすら狙えたかも」。エンツォは、後年にそう振り返っている。

ジャンニーノの短いモータースポーツ・キャリアが本格的に始まったのは、イタリアで開かれていた公道レース、1950年のミッレ・ミリア。ダブルスーツにネクタイという姿でステアリングホイールを握り、若干22歳で挑んだ彼は初優勝を掴んでいる。

ウーヴォ・フェラーリ(1951年/ワンオフモデル)
ウーヴォ・フェラーリ(1951年/ワンオフモデル)

その3年後にも、再び優勝。ライバルとして参戦していたF1ドライバーのファン・マヌエル・ファンジオ氏は、「難なく自分を追い越していきました。彼はアマチュアではなく、一流のドライバーだという証拠ですよ」。と実力を認めている。

速さを追い求めたジャンニーノは、自らのアイデアでマシンの課題を解決できるのではと考えた。フェラーリのシャシーとエンジンを利用しつつ、空力に優れ軽量なクーペボディを被せた、オリジナルマシンの製作へ動いた。

イタリア北部、パドヴァでカロッツエリアを営んでいた、友人のパオロ・フォンターナ氏へ相談。デザイナーのフランコ・レッジャーニ氏との3人で、ざっくりとしたアイデアは現実的なものへ帰着していった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ジェームズ・ページ

    James Page

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジョン・ブラッドショー

    John Bradshaw

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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