ぽっちゃりボディの高性能! ウーヴォ・フェラーリ(2) シャシーは166MM エンジンは212

公開 : 2025.01.11 17:46

アマチュアレーサーの依頼で、1950年代に作られた唯一無二のフェラーリ シャシーは166MM エンジンは212のV12 フィレンツェの公道レースで優勝 英編集部が超希少な1台をご紹介

シャシーは166MM エンジンは212

「ウーヴォ」フェラーリのフロントで口を開くエアインテークは、F-86セイバー戦闘機のように丸く大きい。ボンネットが膨らみ、横へ深く回り込んだフロントガラスへつながる。ルーフラインはテールへ向けて急激に絞られ、小ぶりなリア周りは力強い。

どの角度から見ても印象的。写真より、実物の方がまとまりは良いだろう。角が丸いため小さく感じられ、未来的なフォルムにも思える。

ウーヴォ・フェラーリ(1951年/ワンオフモデル)
ウーヴォ・フェラーリ(1951年/ワンオフモデル)

特有の卵型ボディは、1950年代の初めにジャンニーノ・マルゾット氏の兄弟、ウンベルト氏が新車で入手した、フェラーリ166MM-024MBのシャシーと、フェラーリ212用の2562cc V型12気筒エンジンを包み込んでいる。その能力は、失われていなかった。

デビュー戦となったのは、1951年にイタリア・シチリア島で開催された公道レース、ジロ・ディ・シチリア。兄弟のヴィットリオ・マルゾット氏も、212をベースにしたオープンボディのマシンで参戦している。

スタート直後から、ジャンニーノはウーヴォ・フェラーリの走りへ魅了されたらしい。カーブが連続する狭い道を、素晴らしい身のこなしで駆け巡れたからだ。

「長丁場のレースはノンストップで、1100kmもあります。きついカーブは8000か所以上。特有の重量配分が功を奏し、ステアリングホイールを回す必要は殆どなく、パワーを保ったまま走り続けることができました」

「視界は見事で、グランプリマシンのよう。ガードレールや歩道を、舐めるようにすり抜けられましたね」。彼は仕上がりを絶賛した。

フィレンツェの公道レースで悲願の優勝

ところが、最終ステージまでリードしていたものの、北東部のメッシーナへ差し掛かったところでデフが故障。結果的に、ゴールのパレルモまでは列車で戻ることになった。優勝したのは、兄弟のヴィットリオだった。

翌月は、ミッレ・ミリアへ参戦。スタート直後から、機敏な操縦性でパワフルなライバルへ肉薄している。アドリア海へ面した道を南下する頃には、少し余裕を持って運転していたにも関わらず、ジャンニーノは10分近いリードでトップを突っ走っていた。

ウーヴォ・フェラーリ(1951年/ワンオフモデル)
ウーヴォ・フェラーリ(1951年/ワンオフモデル)

しかし、シャシー後方から異音。コ・ドライバーを努めていたマルコ・クロサラとともに、タイヤを確認するものの不具合には気づかなかった。デフの不調だと予想した彼は、危険を避けるためリタイアを決断した。

レース後に改めて確認すると、実際はタイヤの問題だった。エンツォへ再びデフが破損したと、ジャンニーノが強く訴えた後のことだったが。優勝できるほどの速さを披露しつつ、ウーヴォ・フェラーリは2度も完走を逃した。

3度目の正直として挑んだのは、イタリア・フィレンツェを拠点に700kmを走るコッパ・デッラ・トスカーナ。意気込みは高かったはずだが、彼はドライビンググローブを忘れてしまう。スタートしてすぐ、手にはマメができたという。

蒸し暑いコクピットの中で奮闘しながら、ライバルを一蹴。5時間14分で完走し、優勝を奪い取っている。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ジェームズ・ページ

    James Page

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジョン・ブラッドショー

    John Bradshaw

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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