【昭和の青春的ホットハッチの世界】最後のルノー・スポールと寸止めゴルフGTI!

公開 : 2025.01.03 11:45  更新 : 2025.01.03 12:11

ホットハッチという昭和の青春的な言葉は、もうすぐ失われるのかもしれません。ルノー・メガーヌR.S.とフォルクスワーゲン・ゴルフGTIの2台を通じて、佐野弘宗がホットハッチについて考えます。

ホットハッチの行く末は、今や風前の灯

実用FFハッチバックに高性能エンジンを押し込んで、ときにスーパースポーツカーをも追い詰めるほどの速さを発揮……してきた『ホットハッチ』の行く末は、今や風前の灯といっていい。

理由はいくつかある。厳しいメーカー別平均CO2排出(≒燃費)規制のもとでは、高性能エンジン車の販売台数はどんどん制限されて、高価格化せざるをえない。そこでは、ホットハッチのような庶民派スポーティカーは生き残りにくい。また、クルマの基本形態がクロスオーバーSUV的なものに移行しつつあり、ホットハッチ化に適したクルマ自体が、じわじわと減少している。

取材車はルノー・メガーヌR.S.ウルティム(左)とフォルクスワーゲン・ゴルフGTI。
取材車はルノーメガーヌR.S.ウルティム(左)とフォルクスワーゲン・ゴルフGTI。    佐藤亮太

さらにいうと、ある意味で昭和の青春的な響きを持つホットハッチという名称に相応しいのは、FFであるべきと個人的には考える。しかし、今や2.0リッターエンジンでも400ps級をうたう時代。それをまともに走らせるには4WDが必須となる。実際、メルセデスやBMWアウディというジャーマンスリーのCセグメントハッチバックの高性能モデルは4WDである。その意味でも『ホットハッチ』の未来が明るいとはいいにくい。

そんなホットハッチたちはこの10数年、スポーツカーの聖地である独ニュルブルクリンク北コースにおける『市販FF最速』の称号をめぐって、タイムアタック合戦を繰り広げてきた。その発端となったのは、2008年の初代メガーヌR.S.(ベースは2代目メガーヌ)の限定モデル『R26.R』によるタイムアタックだった。

そうしてルノーが仕かけた市販FF最速バトルには、その後、セアトクプラ、フォルクスワーゲン・ゴルフGTI、そして我が日本のホンダシビック・タイプRが参戦。毎年のようにタイムが塗り替えられていく時代が続いたのは、カーマニアなら良く知るとおりだ。

売り切った時点でルノー・スポール市販モデルの歴史も終了

そんな世界最速FFバトルの仕掛け人……ならぬ仕掛けグルマだったメガーヌR.S.は、2023年に最終生産モデルである『ウルティム』を発表。世界1976台の限定数を売り切った時点で、R.S.=ルノー・スポールの市販モデルの歴史も終了すると宣言した。ベースとなるメガーヌ自体も、本国では既に電気自動車(BEV)のクロスオーバーSUVに切り替わっており、直接的な後継機種も存在しないという。つまり、R.S.が長年築いてきたホットハッチの歴史にひとまず終止符が打たれる。

日本国内にもいまだ若干数の在庫がある(取材時)というウルティムだが、特別なのはボディデカールやホイール、専用バッジなどで、ハードウエアや乗り味は、以前から存在するトロフィーそのものだ。1.8リッター直噴ターボが供出する300ps/420Nm(6MTは400Nm)を、フロントの独立キングピン式ストラットと後輪操舵機構(4コントロール)を備えたトーションビームで受け止める。

メガーヌR.S.の最終生産モデル『ウルティム』。世界1976台限定で、在庫限りで販売終了。
メガーヌR.S.の最終生産モデル『ウルティム』。世界1976台限定で、在庫限りで販売終了。    佐藤亮太

独自の4コントロールの効能を『派手さや空力や電子制御に頼らずとも、しなやかなフットワークと高度なコーナリング性能を両立できる』とルノー・スポールは説明する。それでも、後述するゴルフGTIと比較すると、乗り心地は正直に硬めと評さざるをえない。また、4コントロールは、後輪が低速では前輪と逆位相に切れて回頭性を高めて、高速では逆に前輪と同位相となって安定性を引き上げる。それを自在に操るには、速度によってステアリング反応が変化するクセを攻略する必要がある。

しかし、その独特のクセをつかんでしまえば、その走りはまさに以心伝心。最初は硬く感じたサスペンションも、走りに熱がこもって、クルマへの入力が高まるほど、イキイキとストロークしてくれる。1.8リッターという小さめの排気量もあってか、低速トルクは意外に細めだが、かわりに回転が上がるほど乗っていくタイプで、これも昔ながらの高性能エンジンを想起させて、逆に気持ちいい。

記事に関わった人々

  • 執筆

    佐野弘宗

    Hiromune Sano

    1968年生まれ。大学卒業後、ネコ・パブリッシング入社。カー・マガジン等で編集作業に携わるうちに3年遅れで入社してきた後藤比東至と運命的な出逢いを果たす。97年、2人でモンキープロダクションを設立するべく独立。現在はモータージャーナリストとして「週刊プレイボーイ」「AUTOCAR JAPAN」「○○のすべてシリーズ」他、多数の雑誌、ウェブ等で活躍中。
  • 撮影

    佐藤亮太

    Ryota Sato

    1980年生まれ。出版社・制作会社で編集経験を積んだのち、クルマ撮影の楽しさに魅了され独学で撮影技術を習得。2015年に独立し、ロケやスタジオ、レース等ジャンルを問わない撮影を信条とする。現在はスーパーカーブランドをはじめとする自動車メーカーのオフィシャル撮影や、広告・web・雑誌の表紙を飾る写真など、様々な媒体向けに撮影。ライフワークとしてハッセルブラッドを使い、生涯のテーマとしてクラシックカーを撮影し続けている。佐藤亮太公式HPhttps://photoroom-sakkas.jp/ 日本写真家協会(JPS)会員
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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