【サーキットで輝く貴婦人】1969年式ダットサン・フェアレディで全開走行するオーナーに訊く!

公開 : 2025.01.05 11:45

国産車初の量産スポーツカーとして、1961年10月にデビューした『ダットサン・フェアレディ1500』(SP310型)。その発展型である1969年式のSR311型でサーキット走行を楽しむオーナーがいます。高桑秀典がご紹介します。

第1回日本グランプリでも活躍した『貴婦人』

国産車初の量産スポーツカーとして、1961年10月にデビューした『ダットサン・フェアレディ1500』(SP310型)。

イギリス車を彷彿させるスマートなオープンボディに直列4気筒OHVエンジンを搭載した『フェアレディ=貴婦人』は、そのエレガントなスタイルで人々を魅了しただけでなく、持ち前のスポーティな走りで黎明期のモータースポーツでも活躍。確かな足跡を遺した。

サーキットでもフェアレディを見かける機会が多々あり、ファンが多いことを窺い知れる。
サーキットでもフェアレディを見かける機会が多々あり、ファンが多いことを窺い知れる。    高桑秀典

1963年5月に開催された第1回日本グランプリでは、日産自動車を代表するスポーツカーとして孤軍奮闘。MGやトライアンフといったヨーロッパの強豪を敵にまわし、スポーツカーのB-IIクラスで見事優勝したことは広く知られるエピソードだ。

この第1回日本グランプリでの勝利を受け、SUツインキャブ仕様となったSP310型は、1965年5月に排気量を1595ccとしたSP311型に発展。

その後、1967年3月にツインチョーク・ソレックスキャブレター2基を備え、排気量を1982ccとした直列4気筒SOHCエンジンを獲得し、最高出力145psを誇るSR311型へと進化。国内外での評価をより一層高いものにしていった。

SP時代からダットサン・スポーツの名で輸出されていたフェアレディは、いずれのモデルもアメリカ市場を中心に大ヒット。後継車となったフェアレディZがデビュー当初から海外で受け入れられた背景に、SP/SR型フェアレディの活躍があったことは周知の事実だ。

1977年に購入したフェアレディでTBCCに参戦

「このSR311型フェアレディは1969年式で、1977年に購入しました」

そのように話してくれたオーナーの笹本和彦さんは66歳(取材時)。去る12月1日に袖ヶ浦フォレストレースウェイで開催された『第47回東京ベイサイド・クラシック・カップ・シリーズ』(TBCC)のクラブマンズ・カップに初参戦した。

フェアレディでは久々だが、ポルシェでのサーキット走行は定期的に楽しんできた。
フェアレディでは久々だが、ポルシェでのサーキット走行は定期的に楽しんできた。    高桑秀典

今回のTBCCは12シーズン目の第3戦だったが、前回(第2戦)のスポーツ走行クラスで自身のフェアレディを走らせて走行感覚をつかみ、すぐさまレース形式走行会にエントリーしたそうだ。

「いろいろイジっていますが、TBCCに参戦するためにモディファイしたのではありません。エンジンはオーバーホールして排気量が2080ccになっており、ハイカムになっています。駆動系はノンスリップデフになっていて、それらの仕様変更は45年前に行いました。ナルディのステアリングも45年前から使っています。購入した当初となる10代の頃はハードトップではなく純正の幌仕様で乗っていました」

40数年前に『タックス』に出ていたらしいが、その後、スーパーカーに乗るようになってポルシェ911ターボ(930型)やフェラーリテスタロッサを愛用。フェアレディを20年以上ガレージに放置してしまったので、12年前に各部をリセットし、路上復帰させた。

「修理して乗れるようになったのですが、またブランクができてしまい、昨年(2023年)、再びリフレッシュしました」

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    高桑秀典

    Hidenori Takakuwa

    1971年生まれ。デジタルカメラの性能が著しく向上したことにより、自ら写真まで撮影するようになったが、本業はフリーランスのライター兼エディター。ミニチュアカーと旧車に深い愛情を注いでおり、1974年式アルファ・ロメオGT1600ジュニアを1998年から愛用中(ボディカラーは水色)。2児の父。往年の日産車も大好きなので、長男の名は「国光」
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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