【東京オートサロンを終えて思うこと】欧米では常識外の異端児!大きな変化のきっかけはAMGだった

公開 : 2025.01.13 11:45

ダイムラーがAMGを内製化

ダイムラー(現メルセデス・ベンツ)が1990年代後半にAMGを内製化したのだ。

その直後から、メルセデス・ベンツのチューニングカーブームが起こる。当時、御三家と言われたブラバス、ロリンザー、カールソン。筆者はこれら各社を頻繁に取材し、最新チューニング・メルセデスをアウトバーン等で試乗してきた。

今年発売予定の新型ホンダ・プレリュード。
今年発売予定の新型ホンダプレリュード。    桃田健史

メルセデス・ベンツという自動車産業界の羅針盤が、こうした事業戦略に出た影響はまたたくまにグローバルに広がっていった。BMWの『M』、アウディの『R』、キャデラックの『V』のラインアップが拡充されていった。

こうした動きと前後して、日本でのチューニングカーブームが下降し始めたため、日本の有名ショップや部品メーカーは新たなビジネスチャンスをアメリカに求めた。その影響でSEMAショーでは日系チューニングカーが一時的に盛り上がったものの、アメリカでは公道での違法改造に対して当局の対応は厳しく、ブームが2年間ほどであえなく終焉してしまう。

こうした中、日本では、三菱ラリーアートやスバルSTIだけはなく、日系御三家(トヨタ日産、ホンダ)が東京オートサロンを『ブランド戦略のひとつの方法』として活用するようになった。

結果的に、日系自動車メーカー各社が、趣向を凝らした出展が目立つようになり、そこに輸入ブランドやアフターマーケットブランドが併存するという、いまの東京オートサロンの形に落ち着いたと言える。

では、今後はどうなるのか? 自動車メーカーやサプライヤーは『100年に一度の大変革』に対する危機意識が高まっている。一方、東京オートサロンでは、一部にEV展示があるものの、来場者に対する影響力は限定的だ。また、自動運転に関する展示はほぼない。

ユーザーが東京オートサロンに求めているのは、ここでしか味わえない独特な世界観だ。これを、自動車産業の2極化として捉えるのか、それとも社会の現実として真摯に受け止めるのか。日本のクルマの未来が、まだはっきり見えてこない。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    桃田健史

    Kenji Momota

    過去40数年間の飛行機移動距離はざっと世界150周。量産車の企画/開発/実験/マーケティングなど様々な実務を経験。モータースポーツ領域でもアメリカを拠点に長年活動。昔は愛車のフルサイズピックトラックで1日1600㎞移動は当たり前だったが最近は長距離だと腰が痛く……。将来は80年代に取得した双発飛行機免許使って「空飛ぶクルマ」で移動?
  • 撮影

    山田真人

    Makoto Yamada

    1973年生まれ。アウトドア雑誌編集部からフリーランスカメラマンに転身。小学5年生の時に鉄道写真を撮りに初めての一人旅に出たのがきっかけで、今だにさすらいの旅をするように。無人島から海外リゾート、子どもからメガヨットと幅広い撮影ジャンルを持つ。好きな被写体は動くものと夕陽。
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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