帽子を焦がしたレーシングシャシー ブガッティ・タイプ57 S コルシカ(1) バラバラからの再生

公開 : 2025.02.15 17:45

オーナーへ無敵感を覚えさせるほどの加速力

牧歌的なグレートブリテン島の道を、タイプ57 Sはサラブレッドのように駆ける。複雑なダンパーが屈伸し、凹凸は滑らかにいなされる。高速コーナーでも、ピタリと安定している。

初めは重く感じられた身のこなしだが、速度が上昇するほどステアリングホイールが軽く転じる。そのダイレクト感は、感動すら生む。

ブガッティ・タイプ57 S コルシカ(1937年式/英国仕様)
ブガッティ・タイプ57 S コルシカ(1937年式/英国仕様)    オルガン・コーダル(Olgun Kordal)

トランスミッションは、戦前らしい。クランク状のシフトレバーが、ワイドに広がったゲートを上下する。とはいえ、これもエンジンの回転数が高まると、素早く変速できるようになる。

重量がかさむスーパーチャージャーは載っていない。レーシング・シャシーには、軽量化の穴が無数に開いている。ボディは軽いオープンで、加速力に驚かされる。1937年当時は、オーナーへ無敵感を覚えさせるほど驚異的だったことだろう。

計算では、5000rpmで183km/hへ到達する。サーキットで限界を試したくなった、ロバートの気持ちは理解できる。ブレーキは心もとないが。

ブガッティへ魅了されている現オーナーのバンフォード卿は、建設機械メーカーのJCB社会長だ。妻の影響で収集を始めた、カルロ・ブガッティ氏によるビンテージ家具が、きっかけだったという。エットーレ・ブガッティ氏の父は、著名な家具職人だった。

1974年のハネムーン中に、ブガッティ・タイプ57 アトランティークを購入する機会が巡ってきたのだとか。「美しいクルマでしたが、走行中は熱くてうるさいんです。運転は、余り楽しいものではありませんでした」

妻よりブガッティと過ごす時間の方が長かった

「それでも、素晴らしい物語を備えたクルマは大好きです」。と話すバンフォード卿は、JCB社でエンジニアリングチームを率いた、ターンブルと親交があった。「彼はプロジェクトへ深く没頭できる、才能豊かなニュージーランド人でした」

「彼のブガッティが、話題に出ることもありました。完璧主義者で、ワークショップにこもるのが好きだったようです。しかしブガッティのレストアには、相当な時間と計画管理が必要だったといえます」

レストアを受ける前のブガッティ・タイプ57 S コルシカの様子
レストアを受ける前のブガッティ・タイプ57 S コルシカの様子

1969年にタイプ57 Sで国際ラリーへ出場したターンブルは、状態に満足できなかった。1970年に分解するものの、それから50年間、彼が亡くなる2019年までに作業が終わることはなかった。

2021年2月にボナムズ・オークションへ出品。偶然それを知ったバンフォード卿は、ターンブルとの記憶へ強く惹かれ、落札者となった。

タイプ57 Sは、ブガッティ第一人者であるティム・ダットン氏のもとへ。ターンブルとこのクルマの存在は、彼も友人を通じて以前から知っていたという。「彼の親戚は、妻よりブガッティと過ごす時間の方が長いと、冗談で口にしていたほどです」

「引き取った時は、家中に部品が散らばっていました。完璧を目指し、部品を何度も試作していたのでしょう。ボディやトリムへの関心は薄かったようですが、エンジンヘッドのオイル供給を制御するバルブなどは、改良が試みられていました」

記事に関わった人々

  • 執筆

    ミック・ウォルシュ

    Mick Walsh

    英国編集部ライター
  • 撮影

    オルガン・コーダル

    Olgun Kordal

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

ブガッティ・タイプ57 S コルシカの前後関係

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