世界初の量産2+2 MR:マトラM530 歴代初の脱RR:ポルシェ914 身近なミドシップ(1)

公開 : 2025.02.16 17:45

世界初の市販ミドシップを生んだマトラ フォルクスワーゲンとポルシェのコラボで生まれた914 +2のリアシートを備え、エンジンはV4のM530 1960年代の個性派を、英編集部が振り返る

世界初の市販ミドシップを生んだマトラ

レーシングドライバーのジャック・ブラバム氏が、ミドシップのクーパーT51でF1初勝利を収めたのは1959年。それから半世紀以上が過ぎ、ドライバーの後ろにエンジンが位置するのは、スーパーカーに限られると考える人は少なくないと思う。

しかし1960年代には、そこまで特別なレイアウトではなかった。モータースポーツと近い距離にあった、ドイツのポルシェとフランスのマトラは、このレイアウトを一般化しようと試みた。既存のドライブトレインを活用し、新しいボディを与えて。

マトラM530 LX(1968〜1973年/欧州仕様
マトラM530 LX(1968〜1973年/欧州仕様    マックス・エドレストン(Max Edleston)

ひと足先に動いたのはマトラだった。世界初の市販ミドシップモデルとなる、2シーター・クーペのジェットを生産している。実際には、同じくフランスのメーカー、オトモビル・ルネ・ボネが1962年に発売したモデルといえたが。

マトラは、航空機や電子機器を手掛ける技術企業で、グラスファイバー素材の販売も手掛けていた。1964年にオトモビル・ルネ・ボネが破綻すると、それを吸収し、自動車製造へ事業を拡大。小柄なジェットの生産も受け継がれた。

ミドシップ・スーパーカー、ランボルギーニ・ミウラの発表は1966年。V8エンジンをミドシップした、イタリアのATS 2500 GTは1963年に発表されている。ジェットは、それより数年先行していた。しかも、遥かにお手頃だった。

+2のリアシートを獲得 エンジンはV4

とはいえ、洗練度は残念ながら高くなかった。売れ行きも芳しくなく、生産数は1492台に留まっている。マトラの経営者だったジャン・リュック・ラガルデール氏は、快適性を高める必要性を理解していた。まっさらな状態からの、次期モデル開発が始まった。

ターゲットは、若者でも乗れる普段使い可能なスポーツカー。ミドシップを継投しつつ、2+2のシートレイアウトが新しいM530には選ばれた。

マトラM530 LX(1968〜1973年/欧州仕様
マトラM530 LX(1968〜1973年/欧州仕様    マックス・エドレストン(Max Edleston)

ミドシップで4シーターという構成も、量産車では初の試みだった。ちなみに、同じレイアウトを持つランボルギーニ・ウラッコは1970年、マセラティ・メラクは1972年、フェラーリ・モンディアルは1980年に発表されている。

後席の空間を確保しながら、ボディサイズを小さく収めるため、パワートレインに選ばれたのは、フォード・タウヌスに搭載されていたV型4気筒エンジン。前輪駆動用のトランスアクスル・ユニットも流用された。

当初は、BMWのM10型4気筒エンジンが考えられていたものの、丁度良いトランスミッションが存在していなかった。こちらの方が、スポーツカーとしてより魅力的に仕上がった可能性はあるが。

シャシーは、後年のロータス・エリーゼのアルミ製タブへ似た形状の、スチール製タブ。エンジンとシート4脚をホイールベース内に載せつつ、前後の荷室と横転時のロールオーバー構造も盛り込まれていた。サスペンションは、前後とも独立懸架式だ。

記事に関わった人々

  • 執筆

    チャーリー・カルダーウッド

    Charlie Calderwood

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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