自動車業界の歴史に残る失敗作 55選(前編) 1948年~1991年
公開 : 2025.02.01 18:05
シトロエン・ビジュー – 1960年
シトロエンは1953年から1960年にかけて、英国スラウで2CVの生産を行っていたが、販売は振るわず、未使用のシャシーが余った。そこで、スペアパーツを活用したコンパクトなクーペモデルとして、フランス語で「宝石」を意味するビジュー(Bijou)が構想された。
アイデアは的を射ていたが、現実は厳しかった。英国ではスポーティで手頃な価格のクーペがいくつか販売されており、ビジューの性能はそれらに及ばなかった。ガラス繊維製ボディは標準的な2CVよりも重く、速度が遅かったのだ。車内は狭く、スタイリングも好みが分かれるものであった。こうした理由から、ビジューは207台しか売れなかった。

ヒルマン・インプ – 1963年
ヒルマン・インプは、斬新なリアエンジン設計によりミニに戦いを挑んだ。この設計を採用した英国製量産車は、インプが初めてであった。軽快なハンドリングと優れたエンジンにより、ミニよりも運転しやすいと考えられていたが、やがて品質の問題に悩まされるようになる。インプは、自動車製造の経験のない労働者が働くスコットランドのリンウッドにある新工場で製造されていた。
その他にも、ミニのトランクほど実用的ではないガラス製リアハッチや、空気圧式スロットルなど、弱点となった部分はいくつもある。インプとその派生モデルは1976年まで製造され、その間に44万32台が出荷されたが、その頃にはミニの販売台数は数百万台に達していた。

モーガン・プラスフォー・プラス – 1963年
もともと年間販売台数が数百台のメーカーにとって、失敗作と呼べるのは一体どれほどの規模なのか、想像するのは難しい。プラスフォー・プラスの場合、総生産台数は26台である。モーガンの伝統的なスタイルや構造から大胆に脱却しようとした意欲的なモデルだが、MGAに似た外観やグラスファイバー製ボディが顧客層に与えた違和感はあまりにも大きかった。
今ではその希少性の高さから、プラスフォー・プラスはモーガン愛好家にとって非常に価値のあるモデルとなっている。信頼性の高いトライアンフTR4の機械部品により、手入れが簡単で運転しやすい。モーガンの考え方を変える1台であったが、しばらく後にエアロ8で似たような過ちが繰り返されることになる。

アストン マーティン・ラゴンダ – 1974年
1976年に発表されたウェッジシェイプボディのラゴンダは、16年間の生産期間にわずか645台が出荷されたに過ぎず、爆発的なヒットとは程遠いものであった。しかし、1974年から1976年にかけて製造された先代のラゴンダがわずか7台であったことを考えると、これは非常に多い台数と言える。アストン マーティンDBS V8のロングホイールベース版をベースに、より丸みを帯びた外観となったラゴンダ。商業的な理由だけでなく、同社の社長であるデヴィッド・ブラウンのために作られたものでもある。
長いボンネットの下に5.3L V8エンジンを搭載され、そのスタイリングは本格的な4ドアには適していなかった。燃料危機やアストン マーティン社の経営難を理由に、顧客は寄り付かなかった。

画像 大衆車も高級車もスポーツカーも、失敗の連続です。【シトロエン・ビジュー、アストン マーティン・ラゴンダ、パンサー・ソロを写真で見る】 全48枚


















































