ブリックリンSV-1 – 1974年

安全性の高さは売りになるが、ブリックリン(Bricklin)SV-1のような低重心のガルウィングドアのクーペの場合はそうではない。SV-1という車名は「セーフティ・ビークル・ワン(Safety Vehicle One)」の略で、当時としては新しいアイデアであったロールオーバー構造と衝撃吸収バンパーを採用している。また、ガラス繊維製であったため腐食にも強い。

しかし、ブリックリン社の事業は品質管理の問題や従業員の出勤拒否により支障をきたし、衰退していった。同社は、1974年の発売から1976年にカナダのニューブランズウィック州からの出資が打ち切られて倒産するまで、SV-1の価格を2倍に値上げした。

ブリックリンSV-1 - 1974年
ブリックリンSV-1 – 1974年

ランボルギーニ・チーター – 1977年

ランボルギーニ・チーターが初代ハマーと似ているのは、単なる偶然ではない。これは、米軍が兵員輸送用に求めていた全地形対応車の仕様要求に基づいて開発されたクルマである。ランボルギーニはモビリティ・テクノロジー・インターナショナル社と提携して、クライスラー製V8エンジンをリアに搭載したチーターを製作した。

このエンジンレイアウトはハンドリングには不利であり、米陸軍はAMジェネラル社と契約を結び、ハマーが数多く製造された。たった1台のチーターは売却されたが、ランボルギーニはこの経験から十分なインスピレーションを受け、カウンタックのV12エンジンを搭載したLM002を開発した。

ランボルギーニ・チーター - 1977年
ランボルギーニ・チーター – 1977年

ボルボ262C – 1977年

ボルボは時折、クーペにも手を伸ばしている。262Cは名車P1800の後継であった。しかし、ベースとなった200シリーズのレンガのような外観をそのまま引き継いでおり、そこに奇妙なスタイルのビニール製ルーフが取り付けられている。これは米国の富裕層向けのラグジュアリークーペとして企画されたもので、パワフルなV6エンジンを搭載していたにもかかわらず、敬遠されてしまった。

それでもボルボはめげずに、ベルトーネがイタリアで製造した262Cを多くの市場で販売したが、台数を大幅に伸ばすには至らなかった。結局、262Cは6622台が製造されたところで1981年に販売中止となる。

ボルボ262C - 1977年
ボルボ262C – 1977年

DMCデロリアン – 1981年

自動車業界における大きなチャンスを逃した失敗例として、特に有名なデロリアンDMC-2だが、発売前はあらゆる面で有利な条件が整っていた。ロータスが設計したシャシー、ジウジアーロによるスタイリング、元GM幹部のジョン・Z・デロリアンというカリスマ的経営者、そして仕事に飢えた北アイルランドのベルファストの労働力……。しかし、すべては財政赤字、麻薬スキャンダル、そして無駄に費やされた英国の公的資金という混乱の中であっという間に崩れ去り、クルマの評判も傷ついてしまった。

他にも、ガルウィングドアの衝突安全性に対する懸念、非力なV6エンジンによる性能の低さ、傷が目立ちやすいステンレススチール製ボディなど、さまざまな問題があった。 そして、最後のとどめとなったのは、そのハンドリングの悪さだった。2年足らずで物語の幕は閉じ、わずか8583台しか製造されなかった。

DMCデロリアン - 1981年
DMCデロリアン – 1981年

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

自動車業界の歴史に残る失敗作の前後関係

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