自動車業界の歴史に残る失敗作 55選(前編) 1948年~1991年
公開 : 2025.02.01 18:05
スターリング – 1987年
ホンダの大型セダン、レジェンドの機械部品を、ローバーの居心地の良いインテリアに組み合わせれば、米国で大ヒットを狙えるかもしれない。「スターリング(Sterling)」という専用の名前が与えられ、発売当初は日本の技術と英国の高級装備の組み合わせに対する満足度は非常に高かった。しかし、間もなく問題が表面化し、初年度の販売台数1万4171台から翌1988年には8901台に落ち込み、その後も悪化の一途をたどった。
製造品質や耐久性に問題を抱え、スターリングは信頼性ランキングで最下位にまで落ち込んだが、一方でホンダ・レジェンドは予想外に好調な売れ行きを示した。また、ローバーは電気系統をホンダに任せるのではなく、自社で開発するという愚かな判断を下したが、その結果は予想通り最悪なものとなった。ローバーはスタイリッシュなクーペ仕様も設計したが、ようやく完成する頃には需要はすっかり薄れていた。

1991年、ローバーはスターリングを米国市場から撤退させ、二度と戻ることはなかった。しかし、その名はランドローバーとして米国で生き続けている。
ランチア・デドラ – 1989年
デドラは野心にあふれる1台だ。プリズマに代わる高級セダンであり、BMW 3シリーズに対するイタリアンブランドの回答でもあった。際立った特徴はないものの、端正な外観はデドラには似合っている。軽快なハンドリングとターボチャージャー付き2.0Lエンジンによる優れたパフォーマンスも、ドイツの競合車種に引けを取らないものだった。
しかし、ランチア車では珍しいことではないが、信頼性の問題が露呈し、1994年にランチアは英国市場から撤退することになった。耐腐食性がもっと優れていれば、10年間に41万8084台以上を販売することができたかもしれない。

パンサー・ソロ – 1989年
当初は、トヨタMR2のライバルとしてフォードXR3iのエンジンを搭載する計画であったが、パンサーの野望は予定を上回り、最終的には最高出力207psのシエラ・コスワース・エンジンを搭載することとなった。これは当時としては十分な性能であり、0-97km/h加速タイム6.8 秒を誇った。しかし、エンジン変更と、ミドエンジン2+2への設計変更も、開発期間が長引いた要因となった。
ソロの販売に決定的な打撃を与えたのは、発売時の3万9980ポンド(現在のレートで約7万ドル)という法外な価格設定であった。この価格であれば、ポルシェ944 S2の新車と、フォード・フィエスタXR2iも買えてしまう。100台の生産予定に対して、実際には18台しか出荷されなかったのも当然である。

アウディS2クワトロ – 1991年
厳しい条件だが、アウディS2クワトロはクワトロ20Vクーペの後を継ぐ役割を担っていた。少し丸みを帯びたモダンなスタイルと最高出力226psの2.3L 5気筒エンジンを採用し、0-97km/h加速5.7 秒、最高速度237km/hを誇った。四輪駆動システムを搭載し、さらにはアウディとして初めて「S」バッジが与えられた。
これだけの魅力を備えていながら、S2はファンの心を掴むことはできなかった。販売台数は7370台にとどまり、これは先代モデルの1万2500台を大きく下回る数字である。

(翻訳者注:記事は中編に続きます。)
画像 大衆車も高級車もスポーツカーも、失敗の連続です。【シトロエン・ビジュー、アストン マーティン・ラゴンダ、パンサー・ソロを写真で見る】 全48枚


















































