自動車業界の歴史に残る失敗作 55選(中編) 1991年~2000年
公開 : 2025.02.01 18:25 更新 : 2025.02.03 10:42
デザインや性能が良くても、必ずしもヒット商品になるとは限らない。デロリアン、サンヨン・コランド、サーブ9-7xなど、さまざまな理由から「売れなかった」クルマを年代順に紹介していく。
もくじ
ーサン・ペンザ - 1991年
ージャガーXJ220 - 1992年
ーACブルックランズ・エース - 1993年
ーマツダ・クセドス9 - 1993年
ーMG RV8 - 1993年
ーケータハム21 - 1994年
ー日産マキシマQX - 1994年
ースズキX-90 - 1995年
ーベクターM12 - 1995年
ーアルファ・ロメオ166 - 1996年
ーホンダ・ロゴ - 1996年
ールノー・スポール・スパイダー - 1996年
ーサンヨン・コランド - 1996年
ーゼネラルモーターズEV1 - 1996年
ーキャデラック・カテラ - 1996年
ープリムス・プロウラー - 1997年
ーローバー200 BRM - 1997年
ープジョー607 - 1999年
ーポンティアック・アズテック - 2000年
サン・ペンザ – 1991年
(翻訳者注:この記事は「中編」です。前編、後編とあわせてお楽しみください。)
サン・ペンザ(Sao Penza)は、6代目マツダ323(日本名:ファミリア)の南アフリカ仕様である。安価なハッチバック車として販売されており、南アフリカと同じ右ハンドル仕様であることから英国にも輸入されたが、売れ行きは悪かった。マツダの自社モデルを含め、装備の充実したライバル車が多すぎたためである。英国では1000台強が販売された。

サンは、マツダの同等モデルを25%ほど下回る低価格設定で購入者を惹きつけようと懸命に努力した。しかし、それでもうまくいかず、ペンザはわずか2年で英国市場から姿を消した。
ジャガーXJ220 – 1992年
ジャガーXJ220は、設計図からショールームに並ぶまでの過程で、非常に多くの問題に直面した。まず、V12エンジン搭載の四輪駆動車という当初の仕様から、V6ターボの後輪駆動車へと大幅に変更。これを理由に注文をキャンセルする人もいれば、不況を理由に購入を断念する人もいた。
結局、274台が生産されたが、在庫処分のために価格を引き下げる必要があった。XJ220は、当時において優れたスーパーカーの1台であり、最高速度345km/hを発揮するなど非常に高性能であったが、関係者全員にとってお金のかかるプロジェクトであった。

ACブルックランズ・エース – 1993年
ACのオープンスポーツカー、ブルックランズ・エースは、その翌年に登場したアストン マーティンDB7と外観がちょっと似ている。初期のコンセプトではフォードのV6エンジンを積んでいたが、量産モデルではV8エンジンに置き換えられた。最高出力230psという性能はまずまずだが、外観や名称から想像されるほど速くはなかった。
1997年以降に製造された後期型はよりパワフルになったが、納車に時間がかかりすぎ、価格もアストン マーティンDB7と同じだった。ほとんどの顧客にとって、小さなAC社にはアストン マーティンのような魅力がなく、ブルックランズ・エースの総生産台数はわずか58台にとどまった。

マツダ・クセドス9 – 1993年
ホンダがアキュラ、トヨタがレクサスという新たな高級ブランドを立ち上げたことを受け、マツダも同じ市場に参入しようと画策した。そこで登場したのがクセドスというシリーズで、1992年にクセドス6、翌年にはより大型のクセドス9が発売された。9は多くの点で非常に優れたクルマであり、マツダの主力モデルよりもさらに高い品質基準で製造され、贅沢な装備が奢られている。艶を出すため、塗装には通常よりも多く手間をかけたほどだ。
しかし、BMWやメルセデスと同等の価格で、マツダのブランド名を冠した高級車はなかなか浸透しなかった。当初予定されていたアマティという高級ブランドも立ち消えとなった。以前の最高出力170psの2.5 V6エンジンに代わり、206psのスーパーチャージャー付きミラーサイクル2.3 L V6エンジンを導入したが、消費者を惹きつけるには十分ではなかった。クセドス9は2003年までさまざまな市場で販売されたが、販売台数は期待外れで、クセドス6の7万2000台には遠く及ばない。

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