自動車業界の歴史に残る失敗作 55選(後編) 2001年~2015年
公開 : 2025.02.01 18:45 更新 : 2025.02.03 10:43
タタ・ナノ – 2008年
タタ・ナノは野心的なクルマであり、インドの何百万人ものユーザーをスクーターやオートバイから四輪車へと移行させることを目指していた。価格は10万ルピー(約2500ドル)で、4人乗りで維持費も低い。さらに、現地生産によりインド国内で雇用を生み出したことも好材料であった。
ナノの失敗は製造品質から始まり、工場が移転したことでさらに悪化した。また、コストを抑えるために装備や機能を必要最低限に抑えたが、これも当時のニーズとは微妙に噛み合わないものだった。初期モデルがたびたび火災に見舞われたこともあり、年間25万台の販売を見込んでいたにもかかわらず、2015年までの累計は25万台にも満たない。

アキュラZDX – 2009年
米国ホンダのアキュラブランドは、ZDXで大胆なデザインを採用し、個性の強さをアピールした。しかし、ターゲットとなる年齢層のドライバーにはあまりにも大胆すぎた。
また、このスタイリングが原因で後方視界が悪く、運転支援システムを使わない限り、駐車やバックが難しい。さらに、最高出力304psの3.7L V6エンジンは燃費が悪い。最終年となる2013年に価格を大幅に引き下げたにもかかわらず、結局4年間で7191台しか売れなかった。

サーブ9-5 – 2010年
第3世代のサーブ9-5の没落の種は、発売されるずっと前から蒔かれていた。2008年の世界的な不況により経営難に陥ったGMは、コスト削減を検討し、スウェーデンブランドがすぐにリストラ対象となった。新型9-5が発表されたばかりの2010年に、サーブはスパイカーに売却された。
しかし、高級スーパーカーを手掛けるスパイカーは、大衆車ブランドへの資金援助を続けることができなかった。資金が底をつき、9-5とともにサーブも姿を消した。

日産ムラーノ・クロスカブリオレ – 2011年
日産ムラーノ・クロスカブリオレのアイデア自体は興味深いものだが、そこで終わらせるべきだった。日産は大型SUVのムラーノの屋根を切り取り、2ドアにして剛性を高めた。しかし、もっと良い外観と走行性能を持つオープンカーは他にもたくさんある。
日産は発売当初、高価なフル装備仕様を1種類しか用意しなかったため、販売はさらに苦戦した。結局、大きな関心を持たれることなく低迷を続け、ムラーノ・クロスカブリオレは2014年にカタログから姿を消した。

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