自動車業界の歴史に残る失敗作 55選(後編) 2001年~2015年

公開 : 2025.02.01 18:45  更新 : 2025.02.03 10:43

ミニ・ペースマン – 2012年

ミニ・ペースマンは、時代を先取りし過ぎたのかもしれない。スポーティなコンパクトSUVとして、3ドアとカントリーマンという2つの人気モデルに挟まれたが、ラインナップの中での位置付けは不明確だった。また、前輪駆動と四輪駆動を選択できたが、ミニの顧客にはあまり響かなかった。

販売台数でカントリーマンに完全に影を落とされたため、ペースマンは4年で販売終了となった。欧州では発売初年度に約8800台を売り上げたが、カントリーマンは5万台を売り上げており、これがペースマンの運命を決定づけた。

ミニ・ペースマン - 2012年
ミニ・ペースマン – 2012年

クライスラー200 – 2010年

クライスラー200とその兄弟車であるダッジ・ダートについて、フィアット・クライスラー・オートモービルズのセルジオ・マルキオンネCEO(当時)は次のように述べた。

「この2台ほどひどい投資は他に知らない」

クライスラー200 - 2010年
クライスラー200 – 2010年

企業のトップが言うのだから、これほどまでに手厳しい評価はない。同氏はまた、後部座席への乗降を困難にしているルーフの傾斜は「間抜け」だとして、デザイナーを酷評した。2台の生産中止を発表するまで、マルキオンネ氏は枕を高くして眠ることはできなかっただろう。

「この8年間、FCAで手がけた事業の中で、最も財務的な見返りの少ないものだった」

発売当初、エミネムを起用した注目度の高い広告キャンペーンが功を奏し、順調なスタートを切ったが、年間販売台数は先代モデルの半分以下に落ち込み、2016年には5万7294台、幕引きが決まった2017年には1万8457台にまで減少している。

ゼノスE10 – 2015年

ゼノスE10は、完璧な実績があっても商業的な成功には繋がらないことを示す好例である。これは、ロータスおよびケータハムの重鎮であったアンサール・アリとマーク・エドワーズの構想による軽量ミドエンジンスポーツカーで、2015年にロータス・エリーゼに代わるものとして発売された。価格もエリーゼを5000ポンドも下回っていた。

ゼノスのパフォーマンスとハンドリングは絶賛され、巧みな構造設計とターボチャージャー付きフォード製エンジンも高い評価を受けた。しかし、それだけではヒット商品とはならず、100台が製造された後、姿を消してしまった。クルマ自体の出来の良し悪しが必ずしも売り上げに直結するわけではないということを教えてくれる1台だ。

ゼノスE10 - 2015年
ゼノスE10 – 2015年

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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