たった29台のアルミボディ メルセデス・ベンツ300SL ライトウエイト(1) 1年で終了の理由は?
公開 : 2025.02.22 17:45
29台が作られた、アルミボディのW198型300SL ライトウエイト 1台目の購入者はナスカーチームのオーナー 低速では驚くほど普通のベンツ 究極の核心はボディ内にアリ 英編集部がご紹介
アルミ製ボディのW198型300SL ライトウエイト
ドイツの天才技術者、ルドルフ・ウーレンハウト氏が生み出した、プロトタイプレーシングカーのW194型メルセデス・ベンツ300SL「スポーツ・ライヒト」。その公道仕様となるW198型300SL「ガルウイング」は、史上初のスーパーカーと呼んでいい。
メルセデス・ベンツによるモータースポーツ活動の軸は、1953年にF1へシフト。だが、さらなる成功を追求した時、SLにも一層の軽量化が求められた。同社の技術責任者だったフリッツ・ナリンガー氏は、それを叶える理想的なアイデアを思いついた。

今回ご紹介する、アルミニウム製ボディで覆われた300SL ライトウエイトがその答え。生産数は僅か29台で、これは、1番最初にラインオフした車両に当たる。
耐久レースが前提のW194型は、そもそもアルミボディだった。1954年にW198型として量産化するうえで、スチール製ボディへ置換されていたが、再び素材が戻されることに。ドアとボンネット、トランクのパネルは、アルミが維持されていたとはいえ。
300SLの車重は1225kgで、同時期のシボレー・コルベットやフェラーリ250 ヨーロッパなどより軽かった。一方、サーキットで競い合う可能性の高い、フェラーリ250GT ベルリネッタやアストン マーティンDB3 S、マセラティA6 GCSなどよりは重かった。
ライトウエイトの提供が始まったのは、1955年の春から。フロントガラス以外のウインドウもアクリル製へ置換され、スチールボディの300SLより85kgも軽かった。
1台目の購入者はナスカーチームのオーナー
一層の競争力を求めるドライバーは、5000ドイツマルクの追加費用で、この特別なW198型を購入することができた。当時のレートで、オプションの価格は約430ポンド。モーリス・マイナー・トラベラーを、新車で購入できる金額といえた。
メルセデス・ベンツは、1955年のル・マン24時間レースでの観客を巻き込んだ事故以降、サーキット活動から撤退。300SLは、ジョン・フォン・ノイマン氏やロブ・ウォーカー氏、ブリッグス・カニンガム氏など、プライベート・レーサーへ主に販売された。

レースでの勝利を期待した人が殆どだったが、高額をつぎ込んででも特別なSLを欲した、富裕層も少なくなかった。1台目を購入したのは、技術者でレーシングドライバーだったカール・キーケーファー氏だ。彼は、どちらに分類するべきだろう。
アメリカ北部ウィスコンシン州に拠点を置く船外機の大手、マーキュリー・マリン社を創業した彼は、無類のクルマ好き。自社のボート用エンジンをPRするため、ストックカーレースのナスカーで、自身のチームを1955年に設立。2年連続で優勝している。
キーケーファーは、北米のモータースポーツへ新たなスタイルを持ち込んだ。マシンを運ぶため、ルーフ付きのトレーラーを他に先駆けて準備。スタッフには、共通のユニフォームを着せた。そんな目立つ行為を、ナスカーの運営組織は否定的に受け止めたが。
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