小さなボディに秘めた6気筒の名声 ライレーMPH(2) 魅惑的な戦前のスポーツカー

公開 : 2025.02.23 17:46

ワークスマシンと同等の、90年前では最高水準の技術を得たライレーMPH 市場を食い合った同郷のナイン・インプ 南アフリカから戻った直6エンジンの貴重な1台を、英編集部がご紹介

1度南アフリカへ渡ったライレーMPH

シャシー番号44T 2278のライレーMPHは1937年に売却され、ビクター・オークランド氏が2番目のオーナーに。第二次大戦を経て、1948年には英国ロンドンでデンジル・ペニー氏の目に留まり、550ポンドを支払い、母国の南アフリカへ連れ帰っている。

MPHはCA 74190のナンバーで登録され、アマチュアレースを楽しまれた後、1959年に南アフリカ・ケープタウンのタクシー運転手、エドワード・ウィルソン氏へ転売。彼は、資金を工面して部分的にレストアを施した。

ライレーMPH(1934〜1935年/英国仕様)
ライレーMPH(1934〜1935年/英国仕様)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

さらにハリー・ゴームリー氏が購入するが、そのまま30年ほど放置。1992年に彼が亡くなると、ライレー・マニアのロドニー・グリーン氏が引き取り、オリジナルの輝きを取り戻すべく、困難な作業へ取り組み始めた。

ところが、ラジエーターやオイルポンプなど、入手困難な部品が多く難航。ライレーを専門とする英国のレストア職人、ピーター・リー氏が情報を耳にし、グリーンから買い取っている。

1998年に、MPHはグレートブリテン島へ再上陸。リーがエンジンをバラすと、62mmから64mmにボアアップされ、レイストール社製のクランクシャフトとERA社製のコンロッドが組まれていることが判明した。

トランスミッションは、オリジナルのプリセレクター4速マニュアルではあったが、レース仕様のクロスレシオが組まれていた。2基のSU社製燃料ポンプや、ステアリングホイール、フロントのエアロスクリーン用ブラケットも、標準とは異なる部分だった。

最も魅惑的な雰囲気を持つ戦前の1台

現在のオーナーは、こちらもライレーを得意とするガレージ、ブルー・ダイヤモンド社を営むデビッド・パリー氏。頻繁に運転されており、コンクールデレガンス・コンディションではないが、4年前に全塗装されている。

MPHはライレーだけでなく、戦前の自動車として、最も魅惑的な雰囲気を持つ1台だと筆者は考えている。2基並んだルーカス社製のヘッドライトに、低いボンネット。滑らかな曲面を描くテールエンドやフェンダーのラインまで、美術品のようだ。

ライレーMPH(1934〜1935年/英国仕様)
ライレーMPH(1934〜1935年/英国仕様)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

ボンネットを開くと、低い位置に搭載された直列6気筒エンジンが姿を表す。3分岐の排気マニホールドが2基並び、フィンの付いたクランクケースを隠している。反対側には、SU社製のサイドドラフト・キャブレターが2基。機能美とはこのことだろう。

ちなみに、ラジエター側のファンは電動。発熱量を考え、モダナイズされている。ボンネットのルーバーは、36本。これ以外のMPHでは、37本が切られている。

全長は3657mmで、かなり小柄。筆者の身長は170cmほどだが、大きなステアリングホイールとシートの間に身体を滑らせるには、少し工夫がいる。

ダッシュボードには、イエーガー社製のメーターが8枚。タコメーターは6000rpmまで、スピードメーターは時速120マイル(約193km/h)まで振られている。点火タイミングやライト類のスイッチは、ステアリングハブ部分に整列する。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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