パワーとトルクは、いくらあっても足りない アズール・コンバーチブル ブルックランズ・クーペ(2)

公開 : 2025.03.02 17:46

初代コンチネンタルGTよりワンランク上

ブルックランズ・クーペとアズール・コンバーチブルが現役だった頃には、フォルクスワーゲン・フェートンの技術を活かした、初代コンチネンタルGTも提供されていた。だがこの2台は、一層特別なベントレーを求める人を相手に、価格も別次元にあった。

アズール・コンバーチブルのお値段は、2006年で22万6000ポンド。2008年のブルックランズ・クーペは、23万ポンド。オプションを選び、ディティールをオーナー好みにカスタマイズすれば、簡単に3万ポンドは上昇したに違いない。

ベントレー・アズール T コンバーチブル(2006〜2010年/英国仕様)
ベントレー・アズール T コンバーチブル(2006〜2010年/英国仕様)    ジョン・ブラッドショー(John Bradshaw)

ラジエーターグリルの、格納できるフライングBマスコットは2250ポンドのオプション。クルマ本体と同等の寿命があるといわれた、セラミック・ブレーキディスクには2万ポンドが必要になった。

軽くない車重が影響し、AUTOCARが実施した高速ブレーキングの連続テストでは、フェードしがちなことが明らかになっている。ブレーキのアップグレードは、妥当な投資といえた。

競合となったのは、強いていえば、より安価だったフェラーリ612 スカリエッティやメルセデスベンツ CL 65 AMG。ブルックランズ・クーペとアズール・コンバーチブルは、当初に想定された以上の高級車だった。

運悪く世界的な不景気の時期と重なり、ブルックランズ・クーペの生産数は550台が計画されていたものの、400台留まり。英国市場では97台が売れている。現在は価値が見直され、高値で売買されている。

アズール・コンバーチブルは、787台が製造された。2007年には350台が売れており、兄弟のクーペより調子は良かった。

パワーとトルクは、いくらあっても足りなかった

アズールというモデル名は、英国人デザイナーのロバート・ジャンケル氏が、ブルネイ国王のためにデザインした2ドアのシルバー・スピリットに由来する。コンチネンタル Rをベースとしたコンバーチブルで、その名は復活を果たした。

ブルックランズといえば、グレートブリテン島南部、サリー州にあったサーキットが由来。名物のバンクコーナーを、1920年代から血気盛んにベントレーは駆け回ってきた。衰退が進む、工業地帯もその一帯には広がっていたが。

左から、アンスラサイト・グレーのブルックランズ・クーペと、シルバーのベントレー・コンチネンタル R マリナー、ヴィーナス・グレーのアズール・コンバーチブル
左から、アンスラサイト・グレーのブルックランズ・クーペと、シルバーのベントレー・コンチネンタル R マリナー、ヴィーナス・グレーのアズール・コンバーチブル    ジョン・ブラッドショー(John Bradshaw)

2025年に見るブルックランズ・クーペとアズール・コンバーチブルは、前時代の恐竜のようかもしれない。誕生当初から、恐竜的な存在だったといえなくもない。大きいことは良いことだという考えに根付いた、豪華な2ドアモデルの末裔といえる。

どんなに贅沢だとしても、無意味だとは捉えられない時代があった。全長や車重が生む制限も、実際は肥大化だといえても、公道を走れる限り寛大に受け止められた。パワーとトルクは、いくらあっても足りなかったのだ。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジョン・ブラッドショー

    John Bradshaw

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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