【アウトビアンキって覚えていますか?】世界的にも珍しい、A112の全国ミーティングに若手編集部員オゴーが参加
公開 : 2025.02.21 07:05
AUTOCAR JAPAN若手編集部員オゴーの愛車でもある『アウトビアンキA112』。そんなアウトビアンキA112だけが集まる全国ミーティングが開催されると聞いて、愛知まで自走で行ってきました。
今となっては見る機会も減ったA112
今では自転車のメーカーとして広く知られる『Bianchi』(ビアンキ)。その昔は、自動車を意味するAuto(アウト)が頭についた『Autobianchi』(アウトビアンキ)という自動車部門を擁していた。第二次世界大戦後はフィアットとピレリの後ろ盾を得て、フィアットやランチアの兄弟車とも言えるクルマたちを世に送り出していた。
今回の話の主役である『A112』は1969年に発売されると、優れた走行性能とファッション性から若者を中心に人気を博し、1971年にはアバルトがチューンした『A112アバルト』がデビュー。ボーイズレーサーやホットハッチとして日本でも大いに人気を集めた。

筆者もこのアウトビアンキA112アバルトを所有している。今からおよそ3年前、筆者が19歳の時に、30年ほど不動だった個体を即決購入。整備の経験も全くない中、インターネットで情報とパーツをかき集め、丸1年かけて公道復帰させた。
今考えると、若さと勢いに任せた無謀な挑戦だったが、エンジンや足回りに至るまでを自力で組んだことは自動車のメカニズムや基本構造を学ぶ上でとても勉強になったし、A112を自分で直して乗っていなければ、この仕事に就くこともなかったし、今の人間関係を築けてはいなかった。たまに訪れるトラブルに対しても、冷静に対処する『肝』を身につけることができた。アウトビアンキがいなければ今の僕は存在していない、大事な愛車なのだ。
今年は21回目の開催
さて、そんなアウトビアンキであるが、他のイタリア車の例に漏れず、たくさん売れてはいても、故障と錆に弱いボディのせいで、気づけばすっかりレアなクルマになってしまった。
それでも、A112の魅力に魅せられた人たちが日本中から集まる『112の日』というミーティングがある。車名の『112』にちなんで、毎年11月2日近辺の週末に行われ、この日だけは普段なかなかお目にかかることのないアウトビアンキA112が、日本各地から約40~50台が集結する。

2024年は通算21回目の開催。愛知県の木曽三川公園、東海広場の駐車場で行われ、今年は41台が集まった。集まるメンバーは毎年変わらないそうだが、今年は新たにアウトビアンキを手に入れた若いオーナーが2名ほど増えており、そのうちの一人は筆者と同い年の2002年生まれだった!
イベント自体はカーミーティングらしく、クルマに関する情報交換や雑談に花を咲かせ、ランチ弁当を楽しみ、最後はジャンケン大会で閉幕といった流れ。
恥ずかしながら、会場にたどり着いた途端にエンジンが不調になってしまった筆者のアウトビアンキは、人だかりの要因になってしまった。頼もしい先輩オーナーたちの助言を受け、応急処置を施し、なんとか自走で帰宅することができたのだった。
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