A110Rチュリニに乗って思った、アルピーヌの奇跡【新米編集長コラム#20】

公開 : 2025.02.23 07:05

AUTOCAR JAPAN編集長ヒライによる、新米編集長コラムです。編集部のこと、その時思ったことなどを、わりとストレートに語ります。第20回は、先日取材で久しぶりに乗ったアルピーヌA110Rの話です。

モデルライフ終了は、刻一刻と近づいている

アルピーヌA110を奇跡のクルマと呼ぶことに、賛同頂ける方は多いように思う。2015年6月のル・マン24時間レースで、プロトタイプがサプライズデビューしてからもうすぐ10年。そのモデルライフ終了は、刻一刻と近づいているようだ。

伝説的アルピーヌの車名『A110』をそのまま採用した市販版がデビューしたのは、2017年3月のジュネーブ・ショーだった。当時、デビューまでの動きを追いかけてきた私は、ショー会場で数時間前から場所取りをして、緊張しながらプレスコンファレンス開始を待っていた。車名がA110と発表されたときは「そのままかい!」と突っ込みを入れそうになったが、とにかく興奮しながらシャッターを押し続けたのをよく覚えている。

本稿執筆のきっかけとなったのは、アルピーヌA110Rチュリニの取材だった。
本稿執筆のきっかけとなったのは、アルピーヌA110Rチュリニの取材だった。    山本佳吾

それ以降も多くの記事を作り続け、2019年2月には『スクランブル・アーカイブ アルピーヌ』(ネコ・パブリッシング刊/当時)というアルピーヌのワンメイクムック製作を担当。念願だった、アルピーヌ生誕の地であるフランス・ディエップ工場も訪れることができた。

ディエップ工場では、半分は手作りと呼べるほど職人たちが1台ずつ丁寧に、生産というよりは製作していた。直接話をすることはできなかったが、彼らは伝統の地でアルピーヌを作っていることに誇りを感じているようで、そういった空気感を覚えたことは一生の思い出だ。

ルノー・グループという大きな枠組みの中で

しかし決して生産能力が高いといえないディエップでA110だけを作り続けるのは、やはりルノー・グループという大きな枠組みでは、あまりに規模が小さかった。またコロナ禍と急速な電動化を受け、『ルノー・スポール』の役割をアルピーヌに受け継ぐというウルトラCが誕生する。F1チームからルノーの名が消え、ルノー・スポールの設定がなくなり、日本では在庫販売の残すのみとなった。アルカナに『エスプリ・アルピーヌ』というトリムが登場したのも記憶に新しいところ。

2月21日に公開したUK編集部のレポートで、ルノー・スポールの名前が復活する可能性も出てきているが、それはまだ正式発表ではない。

BEVとして復活したルノー5をベースに、アルピーヌ版がA290として発売されている。
BEVとして復活したルノー5をベースに、アルピーヌ版がA290として発売されている。    アルピーヌ

そういった中で、利益率の高くない少量生産モデルとしてアルピーヌA110が存続しているのは、まさに奇跡のような話だ。今後アルピーヌがルノーとプラットフォームを共有するBEVのみとなっていくことは確実で、A110がそのまま生き残ることは考えにいくい。

先日、プジョーCEOのリンダ・ジャクソンさんのインタビューで(注:取材直後に退任を発表)、欧州を直撃している中国車の脅威が、大幅なコストダウンやフランス国内のサプライチェーン強化を強いていることを聞いた。同じフランスのルノーも状況は同じだろう。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。
  • 撮影

    山本佳吾

    Keigo Yamamoto

    1975年大阪生まれ。阪神タイガースと鉄道とラリーが大好物。ちょっとだけ長い大学生活を経てフリーターに。日本初開催のWRC観戦をきっかけにカメラマンとなる。ここ数年はERCや欧州の国内選手権にまで手を出してしまい収拾がつかない模様。ラリー取材ついでの海外乗り鉄旅がもっぱらの楽しみ。格安航空券を見つけることが得意だが飛行機は苦手。

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