PANHARD—『忘れられたフランスの叡智、パナール』展
2015.02.14〜04.26
PANHARD—『忘れられたフランスの叡智、パナール』展
2015.02.14〜04.26
あなたは、パナールをご存知だろうか? 自動車メーカーとして名前が消失してから、もう半世紀にもなるため知らぬ方も多いことだろう。「PANHARD」は、本国フランスでは『パンアール』という発音が近いが、日本ではパナールと表記される場合が多いので、ここではその慣例に従った。
19世紀は蒸気機関が普及し、電気の利用も進み、自動車といえば蒸気自動車や電気自動車だった。やがて内燃機関が実用化され、ベンツやダイムラーによって自動車に搭載されるようになる。折しも油田が発見され、石油の採掘や製精も始まった。ダイムラーの内燃機関による自動車は1889年のパリの万国博覧会に展示されるが、あまり人々の注目はひかなかったようだ。
しかし工作機械やミシンの製造工場を経営していたエミール・ルバッソールとルネ・パナールがダイムラーのエンジンに興味を持ち、その製造権を得ると、1890年から自動車の製造を始める。こうして、ベンツ、ダイムラーに続く史上3番目の自動車会社パナール・エ・ルバッソールが出来て、またパナールがプジョーにも自動車の生産を薦めてエンジンを供給したため、史上4番目の自動車会社としてのプジョーも創業される。
19世紀末のフランスはブルジョアジーの文化が発展し、大衆のための新聞も発行部数を延ばしていた。その中でも大手の日刊紙ル・プチ・ジャーナルが1894年に史上初と目される自動車競技を催す。但し、スピード競争ではなく、実用性を実証するための走行会とされて、暮れるのが21時頃という陽の長い夏にパリのポルト・マイヨーをスタートして、ルーアンにゴールするという126kmのコースが設定された。7月22日のその日にスタートをきったのはガソリン自動車が14台、蒸気自動車が6台だった。トップでゴールしたのはド・ディオン伯爵の操縦するド・ディオン・ブートン蒸気自動車だったが、主催者の裁定による公式発表では、2番目と3番目にゴールしたプジョーとパナール・エ・ルヴァッソールが1位とされて、ド・ディオン・ブートンは2位とされた。なぜなら蒸気自動車は釜焚きの助手が必要なのに対し、ガソリン自動車はより簡便に始動と運転が出来て、信頼性も高いという評価によるものだった。
翌1895年6月には、今度はパリ〜ボルドー往復1180kmのスピード・レースがド・ディオン伯爵を中心にして開催される。ド・ディオン伯爵には内心前年の雪辱をはらす気持ちもあったのだろうが、豈図らんや、蒸気自動車は9位に入ったボレーの他はすべてリタイアし、1着はエミール・ルヴァッソールのパナール・エ・ルヴァッソール、2着はプジョーだった。長距離のため途中でドライバー交替が予定されていたが、エミールが予想よりも早く交替地点に到着したが、まだ交替要員が来ていなかった。そこでエミールは1人っきりで2昼夜を走り続けてパリにゴールし、観衆の熱狂的な声援に迎えられて一躍、英雄となった。今でもパリのポルト・マイヨーにはその記念碑が残されている。
かくしてガソリン自動車が迎えられる時代が華々しく始まり、20世紀を通じてガソリン自動車が栄えたのです。
パナール・エ・ルヴァッソールは、この自動車レースの黎明期に活躍したパイオニアである。また20世紀の自動車の定石となったフロント・エンジンと後輪駆動を最初に考案したのもパナール・エ・ルヴァッソールだった。そして日本に初めて上陸した自動車も、パナール・エ・ルヴァッソールであったことを、我々は記憶しておいても良いだろう。それは1898年(明治33年)のことだった。
エミール・ルヴァッソールを1897年に、ルネ・パナールを1908年に亡くした後のパナール(1930年代にはメーカー自身が単にパナールと名乗っていたようだ)は、静粛なスリーブ・バルブ・エンジンを搭載した高級車を製造する保守的な自動車として存続してきたが、第2次世界大戦後は180度転換して小型車のメーカーとなる。
第2次世界大戦が始まる頃からヨーロッパの各メーカーは、経済的な小型車の開発に取掛かっっており、戦争中も開発は進められていた。戦後になるとフランスでは、ルノーは1946年に4CVを、シトロエンは1948年に2CVを発表した。
パナールも1945年にディナを発表する。それまでのパナールとは全く隔絶した革新的な自動車で、それもそのはず、天才ジャン・アルベール・グレゴワールの設計によるもので、彼がアミルカーのために開発したコンパウンドの発展型だった。戦後すぐにグレゴワール自身がAFG(アルミニウム・フランセ・グレゴワール)を創業し、自ら生産を企てたものを、そのままパナールが受け継いだのである。それまでのパナールのすべてを棄てて、ここから完全に新しい一歩を踏み出したのだった。
今回のアウトガレリア・ルーチェの企画展では、この革新的なパナールをテーマに戦後最初のディナから、パナール最後の24BTまでの主力車種の4台を展示。またルマン24時間レースで活躍したパナールのレーシングカーが2台、展示されている。
世界でも稀なるパナール展だが、21世紀の現在こそ省エネルギー、高効率の先駆車としてのパナールは、再評価されるべきクルマといえよう。4月26日まで開かれている企画展は、パナールの革新性に触れられるまたとない機会である。
開催概要
会場:アウト ガレリア ルーチェAuto Galleria LUCE
名古屋市名東区極楽1丁目5番地
TEL:052-705-6789
ホームページ:http://www.luce-nagoya.jp
会 期:2015年2月14日(土)〜4月26日(日)
入場料:無料
休館日:月曜日・火曜日(祝日の場合は開場)
開館時間:12:00〜18:00