フェラーリ330 GT 2+2(1) ヒビ割れ塗装に刻むサーティースの記憶 2輪と4輪で世界一

公開 : 2025.03.16 17:45

2輪と4輪で世界一の王座を掴んだレーサー、ジョン・サーティース氏 スクーデリア・フェラーリとの契約で乗った330 GT 2+2 非レストアのほぼオリジナル 英編集部が逸話を振り返る

サーティースに理想的だったBMW 507

伝説的レーサーの1人、ジョン・サーティース氏。バイク乗りだった彼にとって、BMW 507は理想的なクルマだった。

ロードレース世界選手権のライダーとして名声を勝ち取り、アストン マーティンDB2/4からメルセデス・ベンツ300SLまで、数多くのスポーツカーを嗜んだ。中でも、ドイツ・ミュンヘン生まれのロードスターは、特別だったようだ。

フェラーリ330 GT 2+2(1964〜1967年/欧州仕様)
フェラーリ330 GT 2+2(1964〜1967年/欧州仕様)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

そんなサーティースは、1960年代に二輪から四輪へ転向。レーシングドライバーが乗るクルマは、ライダーのそれ以上に大きな意味を持った。エンツォ・フェラーリと面会した彼は「ドイツ車は駄目だ。フェラーリに乗ることが絶対だ」。と告げられたらしい。

今回ご紹介するヤレた見た目のフェラーリ330 GT 2+2 は、スクーデリア・フェラーリ
と契約したサーティースへ届けられた、2台目のグランドツアラー。数年でイタリアの名門を去るという、重要な決断に関わったクルマでもある。

興味深いことに、歴代オーナーの判断によって、現在までレストアされることはなかった。深みのあるワインレッド、アマラント・レッドの塗装は、1965年の春からボディを保護し続けてきた。

現在のオーナーは、クラシック・フェラーリとして、クラシケによる認定を取得。歴史を物語る風合いを保ちつつ、快調に走れる状態へ仕上がっている。

330 GT 2+2のスタイリングはトム・ジャーダ

サーティースが最初に手にしたフェラーリも330 GT 2+2で、1964年1月のベルギー・ブリュッセル・モーターショー直後に届けられている。自ら172psへチューニングした、BMWとの別れには消極的だったらしい。

「騎士長(エンツォ)は、ドイツ車を軽蔑するような発言をしました。フェラーリを買うべきだと」。1996年8月のAUTOCARの姉妹誌で、彼はそう話している。だが、新しいチームとの関係性を良好に保つため、その意向へ従った。

フェラーリ330 GT 2+2(1964〜1967年/欧州仕様)
フェラーリ330 GT 2+2(1964〜1967年/欧州仕様)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

「間違いなく、会社からの貸与車両といったものではありませんでした。差額を支払うことになりましたからね」。最初は250 GTルッソを検討したものの、結婚したばかりで、実用性を求めて330 GT 2+2を選んだようだ。

スタイリングを手掛けたのは、ピニンファリーナ社に在籍していたトム・ジャーダ氏。ワイド&ロングなボディに、3.0Lから4.0Lへ排気量が増やされた、V型12気筒のシングルカム「コロンボ・ユニット」が載っている。最高出力は、304psへ上昇していた。

サーティースの1台目は初期型で、4灯のヘッドライトが特徴。トランスミッションはオーバードライブ付きの4速マニュアルで、ボラーニ社製のワイヤーホイールが標準装備だった。

507と同じように、彼はチューニングを施した。コニ社製ダンパーへ手が加えられ、アンチロールバーを変更。サスペンション・スプリングは引き締められ、タイヤはワイドなピレリ・チントゥラートへ交換している。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

フェラーリ330 GT 2+2の前後関係

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