フェラーリ330 GT 2+2(1) ヒビ割れ塗装に刻むサーティースの記憶 2輪と4輪で世界一
公開 : 2025.03.16 17:45
二輪と四輪の両方で世界一の王座を獲得
1963年にフェラーリのF1ドライバーの座を掴んだサーティースは、1964年に最高潮を迎えた。ドイツ・ニュルブルクリンクとイタリア・モンツァでは優勝。オランダと英国、アメリカ、メキシコでも表彰台に登っている。
果たして、グラハム・ヒル氏を1ポイントで凌駕し、世界チャンピオンへ。二輪と四輪の両方で世界一の王座を掴んだ、唯一無二のレーサーになった。

F1の優勝記念として、エンツォは新車のフェラーリを彼へプレゼントしたのだろうか。これは古くから推測されてきたことだが、アマラント・レッドのクーペが、2台目の330 GT 2+2になったことは間違いない。
前期と後期型の狭間に作られた仕様で、生産数は125台と少ない。5速MTと吊り下げ式のペダルは後期型へ準じているが、4灯のヘッドライトは前期型のまま。凄腕のレーシングドライバーは、理にかなったアップグレードだと受け止めたはず。
1965年に乗り換える前に、1台目の330 GT 2+2には1年半乗っていたとサーティースは語っている。シャシー番号6981GTが届けられたのは、1964年シーズンが終わってから半年後になり、プレゼントのタイミングとしては遅すぎるだろう。
ただし彼は、性能には納得していなかったようだ。「設定を何度確かめても、そこまで速くなかったんです。操縦性も良いとはいえませんでした」。そんな不満をエンツォが聞き、275 GTBを提案されたが、サーティースは断ったという。
滑らかに突き進む巨大な電気機関車
「今まで運転したクルマの中で、(275 GTBは)1番酷いといっても良かったですね」。彼は新しい330 GT 2+2へ乗り続け、欧州各地で開かれるレースへ自走で向かった。フェラーリのV12エンジンが放つサウンドとパワーを、堪能したはずだ。
そんな折、モナコ・グランプリとベルギー・グランプリの間に、カナダでの予定が入る。サーティースは自動車ジャーナリストのヘンリー・マニー氏へ、ベルギー・スパ・フランコルシャンまで、330 GT 2+2の移動を頼んだ。記事の執筆と引き換えに。

マニーは、5500rpmを超えないよう監視するコ・ドライバーを助手席に載せ、北を目指した。この時点での走行距離は、4000kmほど。回転数の制限を守りながら、0-97km/h加速を10.1秒、0-161km/hは27.0秒で処理することを確認している。
フェラーリの公称値は、6400rpmへ引っ張って0-97km/h加速が7.5秒で、最高速度は252km/h。5000rpmで183km/hの巡航を余裕でこなすことも、マニーは確かめた。「ガラスのように滑らかに突き進む、巨大な電気機関車のよう」。と印象を残している。
乗り心地は、あまり良くなかったようだ。コニ社製のショックアブソーバーを、アームストロング社製の調整式にし、タイヤはドイツ製造のダンロップへ交換すれば、改善するだろうとまとめてもいる。
サーティースは、この意見に共感した。翌年までに、ボラーニ社製のワイヤーホイールはアルミホイールへ交換され、タイヤはダンロップR6が組まれた。
この続きは、フェラーリ330 GT 2+2(2)にて。
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