日産の高度成長期を支えた生産拠点がEV電池の聖地に!【AESCジャパン座間工場訪問記】

公開 : 2025.02.28 07:05  更新 : 2025.02.28 09:30

1965~95年にサニーやダットサントラック等の商用車を累計1124万台生産した日産自動車座間工場は、現在、AESCジャパン座間工場として、EV電池の聖地とまで呼ばれる場所に生まれ変わっています。桃田健史がレポートします。

座間はグローバルEV産業の聖地

「是非、座間(ざま)工場にいらっしゃって下さい」。日産リーフ向け等、車載電池メーカーとして知られるAESCジャパンから、日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)向けの勉強会実施の通知が来た。

電車で行く場合、都心からは東急田園都市線の終点、中央林間駅からタクシーで10分ほど。また、横浜市街地方面からは相鉄線大和駅で小田急江の島線に乗り換えて南林間駅へ。そこからバスで10分ほどの位置にある。

AESCジャパン座間工場
AESCジャパン座間工場    AESCジャパン

到着したのは、日産自動車・座間事業所。もともと、1965年に車両の最終組立工場として立ち上がり、サニーやダットサントラック等の商用車を累計1124万台生産し、1995年3月に車両生産を中止したという、日産の高度成長期を支えた生産拠点だった。

現在は座間事業所として、新型車の量産試作、プレス金型、車体組立設備、樹脂整形金型の製作・設置、そしてEVやeパワー等のモーターやインバーターの開発拠点になっている。

ここでリーフに対応した電池の開発と製造設備が始まったのが、2007年。日産自動車とNECトーキン(当時)の合弁企業として、旧AESC(オートモーティブ・エナジー・サプライ社)が設立された。

EVは1900年代初頭から、アメリカでタクシーとして登場するなど歴史は古いものの、電池技術の革新的な進化が起きる1990年代まで、小規模事業者が少量生産する『特殊なクルマ』という位置付けだった。

それが、日産リーフと、三菱i-MiEVの登場により、乗用車市場の道を切り開いた。つまり、ここ座間事業所の敷地内にある、AESCジャパン座間工場は、『グローバルEV産業の聖地』だと言える。

製造現場を視察

その後、2019年に日産から中国の再生可能エネルギー関連企業のエンビジョングループにバッテリー事業がすべて譲渡されたが、現在はエンビジョングループの他、日産を含む複数のグローバル投資家から投資を受けており、2023年にAESCジャパンに社名を変更した。

今回施設した座間工場の生産能力は3Gwhで、同社がGEN4(第四世代)と呼ぶNMC(3元系リチウムイオンバッテリー)を、日産リーフの他、軽EVの日産サクラと三菱eK X EV、そして三菱アウトランダーPHEV向けに供給している。NMCとは、正極の主成分である『ニッケル・マンガン・コバルト』を指す。エネルギー密度が高く、航続距離が長いことが特徴だ。

バッテリー生産のプロセスチャート。
バッテリー生産のプロセスチャート。    AESCジャパン

製造工程は、正極と負極の構成部材を混合するスラリーミキシングから始まる。これをコーティング、コンプレッション(圧縮)してロール状にする。ここまでの工程は、AESCジャパンの神奈川県相模原工場で行う。

座間工場では、このロールから電極を切り出し、正極・セパレータ・負極を積層する。それから電極となる部分を溶接して、全体をラミネート素材で包む。ここに、液体の電解質を注入して、セルの形となる。

その後、充放電を行い、さらにエージングと呼ぶ電池内の化学反応が安定化するまで約2週間、専用機器によって保管する。そしてセル自体を積層し、モジュールとして組み立てる。

こうしたセルの積層やモジュールの方式を改善したことで、例えばリーフの場合、車体下部のスペースにより多くの電気容量の電池を搭載することが可能になった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    桃田健史

    Kenji Momota

    過去40数年間の飛行機移動距離はざっと世界150周。量産車の企画/開発/実験/マーケティングなど様々な実務を経験。モータースポーツ領域でもアメリカを拠点に長年活動。昔は愛車のフルサイズピックトラックで1日1600㎞移動は当たり前だったが最近は長距離だと腰が痛く……。将来は80年代に取得した双発飛行機免許使って「空飛ぶクルマ」で移動?
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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