記録破りのスピード ライセットのベントレー8リッター(1) コルシカ社の美しいツアラーボディ

公開 : 2025.03.22 17:45

160km/hを2500rpmでこなすパワーを秘めた、戦前のベントレー 記録破りに夢中だった初代オーナー 美しいツアラーボディはコルシカ社製 英国最速スポーツカーだった8リッターを、英編集部が振り返る

160km/hを2500rpmでこなした8リッター

スピードメーターの針の動きへ、走り好きは古くから魅了されてきた。時速130マイル(約209km/h)まで振られた、ベントレーの巨大なAT社製メーターは、今でも格別な威厳を漂わせている。

今回ご紹介する8リッターは、技術者のルイス・マッケンジー氏が、ベントレーをこよなく愛したフォレスト・ライセット氏のために仕上げた1台。英国のブルックランズとベルギーのジャベケのコースで、最高速記録を樹立している。

ベントレー8リッター・ツアラー(1931年式/英国仕様)
ベントレー8リッター・ツアラー(1931年式/英国仕様)    トニー・ベイカー(Tony Baker)

徹底的なチューニングが施されつつ、欧州大陸を横断するような、長距離旅行にも積極的に利用された。ようやく自動車の普及が進み始めた時代に、ライセットは160km/hを超えるスピードをしばしば楽しんでいた。

例えその速度で走行しても、8リッターを突き動かす8.0L 直列6気筒エンジンの回転数は、僅か2500rpm。有り余るほどのパワーを秘めていた。GW 2926のナンバーを下げたベントレーは、広い直線では、ほぼ無敵の速さを誇ったことだろう。

第二次大戦後でも、最速のスポーツカーの1台に数えることができた。世界が流線型へシフトする中で、ドイツ南西部のハイデルベルクからフランス北部のディエップまで、689kmを1日で走りきった記録も残されている。

第二次大戦前までに重ねた距離は、約10万km。「モーター(エンジン)の時代に生まれたことへ、深く感謝している」。それが、ライセットの口癖だったらしい。

速さの記録破りに夢中だった初代オーナー

彼の助手席には、レーシングドライバーで友人だった、ニール・コーナー氏が時々座った。自動車ジャーナリストのビル・ボディ氏や技術者のローレンス・ポメロイ氏を、横に乗せることもあった。

グレートブリテン島東部、ダーリントンに広がる高速道路の景色は、ライセットが走ったスコットランドのグレート・ノース・ロードとはまるで異なる。だがニールは、何10年も往復してきたから、鮮明に様子が思い浮かぶと口にする。

ベントレー8リッター・ツアラー(1931年式/英国仕様)
ベントレー8リッター・ツアラー(1931年式/英国仕様)    トニー・ベイカー(Tony Baker)

走行車線で、徐々に速度を高める。交通量の少ない区間で、アクセルペダルが踏み込まれると、加速力へ息を呑む。8リッターは、いとも簡単に空気を切り裂き始める。ニールは、正確に4スポークのステアリングホイールを操っている。

その表情は、とても穏やかだ。ライセットの8リッターでのドライブ以上に、幸福な出来事はそうそう起きない。鉄道の高架橋で、彼が指をさす。その線路を、77年前は流線型の機関車、マラード・ストリームライナーが160km/hで疾走していた。

1937年の自動車ファンは、この8リッターが、ル・マン24時間レースへ出場する可能性を話題にしたかもしれない。ライセットは参戦する時間がないと、当時の自動車雑誌、モータースポーツ誌で否定している。

その頃の彼は、ブルックランズ・サーキットでの記録破りに夢中だった。生涯で9台のベントレーを所有したが、この8リッターは最後まで大切に維持した。1924年のル・マン24時間レースでの勝利が、ブランドへの忠誠心を生んだようだ。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ミック・ウォルシュ

    Mick Walsh

    英国編集部ライター
  • 撮影

    トニー・ベイカー

    Tony Baker

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

ライセットのベントレー8リッターの前後関係

前後関係をもっとみる

関連テーマ

コメント

おすすめ記事

 
×