記録破りのスピード ライセットのベントレー8リッター(1) コルシカ社の美しいツアラーボディ

公開 : 2025.03.22 17:45

コルシカ社製の美しいツアラーボディ

ライセットは、アストン マーティンやスペインのアルフォンソ・イスパノなど、複数のスポーツカーも購入している。ヴォグゾールとインヴィクタのモデルへ落胆したことが、ベントレーに対する気持ちを一層強いものにしたという。

彼が所有した8リッターは、GW 2926のナンバーで登録された、シャシー番号YX5121の1台のみ。ルイスは、その専属整備士といってよかった。ベントレーの専門家として一目置かれ、息子のドンとともに、スーツと山高帽で着飾ったライセットに頼られた。

ベントレー8リッター・ツアラー(1931年式/英国仕様)
ベントレー8リッター・ツアラー(1931年式/英国仕様)    トニー・ベイカー(Tony Baker)

ルイスはベントレーだけでなく、デイムラーやロールス・ロイスでも、技術者として勤務した経験を持っていた。キャリアを積むと独立し、ロンドンに自身が営むガレージを開いている。

8リッターの納車は、1931年12月29日。ショートシャシーに、軽量な4シーターのツアラーボディが架装されていた。ブラックとブラウンでコーディネートされた、美しいデザインを仕上げたのは、コーチビルダーのコルシカ社だ。

紅茶の輸入事業で成功したライセットにとって、自分へのプレゼントという意味があったのかもしれない。多趣味で、サッカーや音楽、建築、ヨットなど、関心の幅は非常に広かったという。

グレートブリテン島南部、サセックスにあったサーキットで開かれたスピードトライアルへ出場したのは、1933年。彼は、新記録を樹立する面白さへ惹き込まれていった。

アルファ8Cに勝利 英国最速のスポーツカー

8リッターはチューニングが重ねられ、1939年には、0-400mダッシュを20.63秒で処理する速さを実現していた。トランスミッションが、不調だったにも関わらず。

彼が意識したのは、エンジンの最適化とシャシーの軽量化。ルイスとは、意見が対立することもあったとか。だが、別のガレージへ頼むよ、と口論になっても、ライセットは翌日には電話で謝罪。日頃の感謝を伝えるというやり取りが、何度かあったらしい。

ベントレー8リッター・ツアラー(1931年式/英国仕様)
ベントレー8リッター・ツアラー(1931年式/英国仕様)    コーナー・ファミリー・アーカイブ

1934年には、8リッターのシャシーはホイールベースの短い4リッター用へ交換。ラジエターの高さを低くした、新しいコルシカ社製ボディが架装されるが、徹底的な軽量化で8リッターのシャシー単体と同等の車重を達成している。

エンジンには特別なピストンが組まれ、ポートを研磨。3連キャブレターとマニホールド、スライドスロットル、高圧縮比化など、できうる限りの改良が施された。トランスミッションのギア比も変更され、リアデフにはストレートカット・ギアが組まれた。

1937年のブルックランズでは、0-1000kmの加速記録へ挑戦。最高速度は131.1km/hに達し、27.46秒でゴールしている。

一層のダイエットを希望した彼は、墜落したビッカース爆撃機からアルミニウムを流用。軽いボディを作らせ、新しいダンパーを組ませた。

グレートブリテン島東部、リンカンシャー州シストンパークで開かれたスピードトライアルには、その改良版の8リッターで参戦。アルファ・ロメオ8C 2.9に勝利し、英国最速のスポーツカーだと評価されたほど。

この続きは、ライセットのベントレー8リッター(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ミック・ウォルシュ

    Mick Walsh

    英国編集部ライター
  • 撮影

    トニー・ベイカー

    Tony Baker

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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