75歳で記録を再更新 ライセットのベントレー8リッター(2) 8.0Lエンジンが放つ熱で暖を取る

公開 : 2025.03.22 17:46

160km/hを2500rpmでこなすパワーを秘めた、戦前のベントレー 記録破りに夢中だった初代オーナー 美しいツアラーボディはコルシカ社製 英国最速スポーツカーだった8リッターを、英編集部が振り返る

1950年にベルギーで新記録を4本樹立

第二次大戦間際の1939年8月にも、フォレスト・ライセット氏はロンドンの西、ウェイブリッジで記録破りへ挑戦。ベントレー8リッターからは、軽量化のためサイクルフェンダーとフロント・ブレーキが取り外された。

ネクタイ姿の彼は、1.6kmのコースを38.75秒で走破。平均時速149.5km/hの新記録を残している。

ベントレー8リッター・ツアラー(1931年式/英国仕様)
ベントレー8リッター・ツアラー(1931年式/英国仕様)    トニー・ベイカー(Tony Baker)

終戦後も、ルイス・マッケンジー氏の手でチューニングは続けられた。トリプルロッド・カムドライブ機構から、トリプルチェーン・カムドライブへエンジンヘッドを変更。3分岐の排気マニフォールドも装備されている。

1950年7月には、ベルギー北部のヤブベーケへ遠征。完成したての高速道路、A10号線で海外初の記録へ挑んでいる。海風に悩まされながらも、8リッターはクラスBの新記録を4本も樹立した。

ライセットは、サーキットを周回するレースには参戦しなかった。それでも1950年9月に、レーシングドライバーのレスリー・ジョンソン氏を招待。シルバーストーンで開かれたスプリント・イベントで、この8リッターを走らせている。

ライセットが75歳を迎えた1958年に、ヤブベーケでの記録は、F1ドライバーのモーリス・トランティニャンが駆る、ファセル・ベガによって塗り替えられたことを知る。だが、タイヤの調達が難しいことなどを理由に、再更新へは前向きではなかったという。

75歳で高速記録を塗り替えたライセット

しかし、ベントレー・ドライバーズ・クラブのスタンリー・セジウィック氏は、ダンロップへ接触。241km/h以上に耐える、専用タイヤが提供されることに。ルイスの息子、ドン・マッケンジー氏の協力で、8リッターのリバイバルが決定した。

既にラインオフから27年が経過していた8リッターの8.0L直列6気筒エンジンには、排気量が既定値を超えないよう、ライナーを装備。圧縮比を高めるため、ピストン上部の形状も改められた。

ベントレー8リッター・ツアラー(1931年式/英国仕様)
ベントレー8リッター・ツアラー(1931年式/英国仕様)    トニー・ベイカー(Tony Baker)

ベルギーまでの移動は、もちろん自走。ドライバーズ・クラブのメンバーが所有する、複数の8リッターを引き連れつつ、ルイスもサポート車両で同行した。

約24kmのウォームアップ・トライアルで、関節炎を病んでいたライセットは調子を確認。4.8kmの加速区間と、1.6kmの全開区間、4.8kmの減速区間が設けられた、コースへ挑んだ。

結果は、1.6kmの到達時点で226.6km/hを達成。最高速は、1.0km通過時の227.1km/h。見事にライセットは、一連の新記録を更新してみせた。75歳のドライバーが駆る戦前のヴィンテージ・ベントレーが、1950年代のグランドツアラーに勝利したのだった。

この記録破りから約1年後の1960年4月16日、ライセットは突然この世を去ってしまう。ルイスの自宅から遠くない道を歩行中にタクシーでひかれ、意識不明に陥り、回復することはなかった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ミック・ウォルシュ

    Mick Walsh

    英国編集部ライター
  • 撮影

    トニー・ベイカー

    Tony Baker

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

ライセットのベントレー8リッターの前後関係

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