【240、1800にPV544!】ボルボがリア駆動へ回帰中!EX30雪上試乗で思いを馳せた往年の名車たち

公開 : 2025.03.04 11:25

ボルボといえば、日本では1990年代の850ブームもあり、フロント駆動のイメージが強いですが、それ以前はもちろんリア駆動が主流でした。雪上でリア駆動であるEX30を試乗した高桑秀典が、往年の名車に思いを馳せます。

AWDの雪上試乗会だと思っていたらリア駆動だった

ボルボ、雪上試乗会、新潟県の降雪地帯で実施。この3つのキーワードから真っ先に連想したのは、AWDのXC90XC60あたりで雪道を走るのかな……ということだった。しかし、上越妙高駅の駅前に設けられた発着拠点に駐車しているボルボの試乗車は、リア駆動のEX30であった。

結果的にEVならではの高度な制御でEX30でも問題なく雪道を走行できたが、銀世界を駆け抜けながら、いざというとき(制御が入らない場合)にアクセルコントロールでリアを流せるリア駆動は、やはり、ボルボの思想においては安全ということなのかな? などと考えていた。

後輪駆動のボルボは名車も多い。こちらは1800と240シリーズ。
後輪駆動のボルボは名車も多い。こちらは1800と240シリーズ。    ボルボ・カーズ

それと同時に過去にボルボをドライブしたのはすべてドライ路面上で、しかも全車が前輪駆動であったことを思い出した。

特に印象に残っているのは青森県にある本州最北東端の尻屋崎から東京まで一気にドライブした初代S60のT-5だ。好天時に乗ったが、走行距離が長かったこともあり、その乗りやすさと高性能ぶりに感動したことをいまでも憶えている。

ボルボは、1986年に発表した3ドアハッチバックモデルの400シリーズで初めて前輪駆動方式を採用。1991年にデビューした850から大型のボルボも順次FF化していき、そのような流れの中でリア駆動モデルは存在しなくなった。

電気自動車で再びリア駆動方式を採用するようになったが、ボルボといえば前輪駆動か4輪駆動というイメージが日本においてはまだまだ強いと思う。

240、アマゾン、PV544、1800シリーズがメジャーな存在

他ブランドと同じように、1927年創業のボルボも長きにわたってリア駆動車ばかりを生産してきた。日本で有名なリア駆動ボルボといえば1974年から1993年まで親しまれた240シリーズだが、カーマニアが参加するイベントに行くと、もっと旧いモデルと遭遇することがある。

そのクラシック・ボルボとは、1956年にデビューした120(アマゾン)、1958年に導入されたPV544、1960年に登場した1800シリーズだ。PV544は、ボルボのエンジニアであるニルス・ボーリンが発明した3点式シートベルトが標準装備となっていた。

記事製作のきっかけとなった、リア駆動ボルボであるEX30の雪上試乗会。
記事製作のきっかけとなった、リア駆動ボルボであるEX30の雪上試乗会。    山田真人

いつの時代にもボルボは先駆者であり続けてきたが、常に安全性を最優先しながらリア駆動車を進化させ、堅牢なボディを強みとして、ユーザーに胸がすく走りを提供していたのだ。

以前、クラシックカーラリーに参戦した際にPV544および1800Eと一緒に走行したことがあるが、その見た目からは想像できないようなスポーティな走りを披露。1974年式の我がアルファ・ロメオでさえ、頑張って走らないと追いつかないスピードであった。

以前ボルボは240や850(2台ともフライング・ブリックと呼ばれていた)でモータースポーツを戦い、スポーティなイメージを確立したが、その後、ブランドの立ち位置をプレミアム方向にシフト。スポーツ性を追求するユーザーが少なくなったが、EX30はキビキビ走れるので、風向きが変わるのかもしれない。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    高桑秀典

    Hidenori Takakuwa

    1971年生まれ。デジタルカメラの性能が著しく向上したことにより、自ら写真まで撮影するようになったが、本業はフリーランスのライター兼エディター。ミニチュアカーと旧車に深い愛情を注いでおり、1974年式アルファ・ロメオGT1600ジュニアを1998年から愛用中(ボディカラーは水色)。2児の父。往年の日産車も大好きなので、長男の名は「国光」
  • 撮影

    山田真人

    Makoto Yamada

    1973年生まれ。アウトドア雑誌編集部からフリーランスカメラマンに転身。小学5年生の時に鉄道写真を撮りに初めての一人旅に出たのがきっかけで、今だにさすらいの旅をするように。無人島から海外リゾート、子どもからメガヨットと幅広い撮影ジャンルを持つ。好きな被写体は動くものと夕陽。
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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