アストン マーティン・ラゴンダ(1976年)

アストン マーティンは、1976年にラゴンダを2万4570ポンドという法外な価格で発売した。当時、英国の平均的な住宅価格は1万3000ポンドであった。エクステリアと同じくらい角ばったインテリアには、タッチセンサー式パネルやデジタルディスプレイが満載されている。富裕層にとってはまさに理想的なクルマだったが、故障が頻発し、修理には莫大な費用がかかるという問題もあった。

アストン マーティンは後期のモデルではインテリアを簡素化したが、デジタルダッシュボードはそのまま残した。しかし、その頃には販売台数は激減しており、1990年までに晩梅できたのは合計645台であった。

アストン マーティン・ラゴンダ(1976年)
アストン マーティン・ラゴンダ(1976年)

ビュイック・レアッタ(1988年)

レアッタはスポーティーな2ドア2シーターのクーペで、ビュイックブランドにシックな雰囲気を吹き込もうというゼネラルモーターズの大胆な試みであった。その外観は申し分なく、電子制御のタッチスクリーン・コンピューターやデジタルダッシュボードなども手伝って、成功を収めるかに思われた。しかし、通常の生産ラインではなく、レアッタ専用クラフトセンターで手作業で組み立てられていたため、生産工程が複雑になりすぎていた。

GMは英国にスタッフを派遣し、ロールス・ロイスなどの小規模自動車メーカーがどのようにクルマを生産しているかを視察させたほどだ。しかし、こうした努力は実を結ばず、消費者の購買意欲をそそることもなければ、レアッタの性能が高まることもなかった。確かに悪いクルマではないが、前輪を駆動する3.8L V6エンジンはパワーと洗練さに欠け、スポーツモデルとしての位置づけを損なうものだった。結局、レアッタは4年間で2万1751台しか生産されなかった。

ビュイック・レアッタ(1988年)
ビュイック・レアッタ(1988年)

三菱3000GT(1990年)

四輪駆動、電子制御サスペンション、可変エアロダイナミクス、四輪操舵などの仕様を列挙すると、三菱3000GT(日本名:GTO)はまるで今日発売されたかのように思えるだろう。しかし、実際に登場したのは1990年で、三菱はポルシェ944トヨタスープラなどのライバル車に対抗するために、このクルマに全力を注いでいた。

エンジンも当時としては先進的で、最高出力286ps(欧州仕様)のツインターボ、4カム3.0L V6エンジンを搭載している。これは素晴らしいパフォーマンスを発揮したが、エアロやサスペンションの妙技も、ダイナミクスの鈍さを克服することはできなかった。しかし、その複雑さは、クラシッククーペを求める現代の人々にとって、3000GTの大きな魅力の1つとなっている。

三菱3000GT(1990年)
三菱3000GT(1990年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

関連テーマ

コメント

おすすめ記事

 
×