【ランチア・ストラトスのオリジンが薬師寺に降臨】その名はゼロ!ガンディーニが描いた斬新すぎるコンセプトモデル

公開 : 2025.03.23 11:45

先般、奈良の世界遺産である薬師寺境内で開催された『コンコルソ・デレガンツァ・ジャパン2025』。そのウイナーに輝いたのは『ランチア・ストラトスHFゼロ』でした。内田俊一が、その歴史を振り返ります。

ストラトス=成層圏から舞い降りた未知のクルマ

先般、奈良の世界遺産である薬師寺境内で開催された『コンコルソ・デレガンツァ・ジャパン2025』。そのウイナーに輝いたのは『ランチア・ストラトスHFゼロ』だった。そこで、その歴史を簡単に振り返っておきたい。

1970年のトリノ・ショーでデビューしたストラトスHFゼロ。その名の通り、『ストラトス=成層圏』から舞い降りた未知のクルマの様相を呈していた。その当時、トヨタは2代目カローラがデビューし、イタリアではまだ新車でフィアット500が買えたそんな世界感の中、ストラトスHFゼロがお披露目されたのだから、ショー会場での反応は推して知るべしだろう。

薬師寺で開催されたコンコルソ・デレガンツァ・ジャパン2025のウイナー、『ランチア・ストラトスHFゼロ』。
薬師寺で開催されたコンコルソ・デレガンツァ・ジャパン2025のウイナー、『ランチア・ストラトスHFゼロ』。    平井大介

カロッツェリア・ベルトーネのブースに置かれたストラトスHFゼロ。そのデザインを担当したのはマルチェロ・ガンディーニだ。1968年のアルファ・ロメオ・カラボ、1970年のストラトスHFゼロ、そして1971年のランボルギーニカウンタック・プロトタイプ(LP500)という流れを見ると、ウェッジシェイプを意識したコンセプトモデル群の1台といえる。

エンジンはランチア・フルビアHF1.6のものをミドシップに搭載。ハンドリングを含めたスポーツカーとしての性能を最大限引き出せるレイアウトと考え、当時ヒットしていたフルビアHF1.6のミッドエンジンバージョンをランチアに提案しようというアイディアがあったのだ。

一方で、あまりにも奇抜なアイディアであることもあり、ランチアの拒否反応を恐れ、一切の諸経費等はランチアに請求せず、カロッツェリア・ベルトーネの名前も明かさずに中古車のフルビアHF1.6を購入し、ストラトスHFゼロのベースにしたのである。

トリノ・ショー会場では驚きと当惑

トリノ・ショー会場では、来場者を驚かせるとともに当惑させることにもなった。それは全高840mmという低さとともに、フロントウインドウを開けて乗り降りするという斬新な設計からだった。当然乗り降りには困難を伴うが、そのためにフロントウインドウを上げる動きに連動し、ステアリングがトラックなどと同じようにアップライト化され、乗降を助けるように工夫された。

そして、ウインドウを下げるとステアリングも通常の位置に戻るのだ。そうはいってもドライビングできるのはせいぜい170cm程度の身長の人ぐらいだろう。事実、コンコルソ・デレガンツァ・ジャパン会場での移動では、フロントウインドウは上げたまま、ステアリングは水平状態で移動している姿を何度か目撃した。やはりかなり無理のある室内高のようだ。

フロントウインドウは上げたまま、ステアリングは水平状態で移動している姿を何度か目撃。
フロントウインドウは上げたまま、ステアリングは水平状態で移動している姿を何度か目撃。    内田俊一

さて、本来の目的であるランチアへのアピールはどうだったかと言えば、トリノ・ショーにおいてランチアからの公式な反応はなかったようだ。しかし、ランチア・ワークスのマネージャー、チェザーレ・フィオリオが何度もブースに足を運んでいたことは伝えられている。

その3ヵ月後に開催されたブリュッセル・モーターショーでは、会場のあるベルギー首都ブリュッセルにあるグランパレまで自走で搬入。当然世界中にこの情報は伝えられることになる。

そこでランチアはベルトーネに連絡し詳細を聞くとともに、後日実車を見る機会をセット。その現場にヌッチオ・ベルトーネ自らがステアリングを握り登場したのである。そこでのミーティングでミドシップレイアウトがもたらすパフォーマンスの高さが明らかとなり、これが実質ストラトス開発のスタートとなった。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    内田俊一

    日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員。1966年生まれ。自動車関連のマーケティングリサーチ会社に18年間在籍し、先行開発、ユーザー調査に携わる。その後独立し、これまでの経験を生かしてデザイン、マーケティング等の視点を中心に執筆。長距離試乗も得意であらゆるシーンでの試乗記執筆を心掛けている。クラシックカーの分野も得意で、日本クラシックカークラブ(CCCJ)会員でもある。現在、車検切れのルノー25バカラとルノー10を所有。
  • 撮影

    内田千鶴子

    Chizuko Uchida

    イタリアとクルマが大好きで、1968年式のFiat 850 spider Serie2を20年以上所有。本国のクラブツーリングにも何度か参加している。イタリア旅行時は、レンタカーを借りて一人で走り回る。たまたま夫が自動車ジャーナリストだったことをきっかけに取材を手伝うことになり、写真を撮ったり、運転をしたりすることになった。地図は常にノースアップで読み、長距離試乗の時はナビを設定していても、ナビシートで常に自分で地図を見ていないと落ち着かない。
  • 撮影 / 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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