NSXの前奏曲!今明かされる『ホンダHP-X』の全貌【#01ペブルビーチで復活】

公開 : 2025.03.26 11:45

2024年8月、北米モントレーで開催されたペブルビーチ・コンクールデレガンスに、ホンダHP-Xと呼ばれるコンセプトカーが出展されました。その歴史を紐解いていくと、実はNSXとの関係性を見いだせるのです。越湖信一による短期集中連載、その第1弾です。

ウェッジシェイプが1970年代以降のカーデザインに大きな影響

2024年8月、北米モントレーで開催されたペブルビーチ・コンクールデレガンスでは『ウェッジシェイプ・コンセプトカー&プロトタイプクラス』という特別カテゴリーが設けられた。

念のためであるが、ウェッジシェイプとはくさび形の直線的フォルムのことを意味し、ランチア・ストラトスHFゼロや、ランボルギーニカウンタックなどがそれを採用された代表的モデルであり、1970年代以降のカーデザインに大きな影響を与えた。会場においては前期後期のふたつにカテゴライズされた歴代の名車たちが並んだ。

コンセントモデル『ホンダHP-X』(上)と市販車『ホンダNSX』(下)その関係とは。
コンセントモデル『ホンダHP-X』(上)と市販車『ホンダNSX』(下)その関係とは。    ピニンファリーナ/本田技研工業

前期は、1955年ギア・ストリームラインXクーペジルダを皮切りに、1970年フェラーリ・モデューロ、1970年ランチア・ストラトスHFゼロ、1970年メルセデスC111、1973年アウディ・アッソ・ディ・ピッケ、1975年ランボルギーニ・カウンタック、1976年フェラーリ・レインボーなどとなる。

そして後期は、1979年アストン マーティン・ブルドック、1984年ホンダHP-X、1988年チゼータV16T、1993年ベクターW8、日本からの出展したケン・オクヤマ・カーズの2017年コード0などだ。

一般公開はまさに40年ぶり

さて、今回のお題はこの『ホンダHP-X』である。このコンセプトモデルは、1984年のトリノ・ショーにてアンベールされたから、このペブルビーチでの一般公開はまさに40年ぶりであり、まさに歴史的な『蔵出し』となった。

奇しくも、ウェッジシェイプの父のひとりであるマルチェロ・ガンディーニ、そしてピニンファリーナの経営を司っていたパオロ・ピニンファリーナまでが2024年に鬼籍に入ってしまっていることもあり、日本のホンダによる40年の月日を経ての蔵出しには大きな注目が集まった。それだけではない。このHP-Xの背景には『ホンダNSX』という日本車の歴史に残るマスターピースの存在もあるのだから。

2024年のペブルビーチ・コンクールデレガンスで、40年ぶりに一般公開されたHP-X。
2024年のペブルビーチ・コンクールデレガンスで、40年ぶりに一般公開されたHP-X。    越湖信一

筆者はこのHP-Xのスタイリングをデザインしたピニンファリーナのディエゴ・オッティナと懇意にさせていただいており、関係者から様々なコメントを頂いている。そこで、HP-Xの誕生から今回の蔵出しに至るプロセスに関して、彼らのコメントを引用しながら紐解いていきたいと思う。

ホンダはピニンファリーナとの契約を1979年に締結

詳しい内容は公開されていないが、ホンダはピニンファリーナとデザインに関する包括的なコンサルティング契約を1979年に締結している。ピニンファリーナ研究開発のトップであるレオナルド・フィオラヴァンティがセルジオ・ピニンファリーナと共にその契約を進め、日本へも複数回訪れている。

しかし、このコンサルティング契約はピニンファリーナにとってかなり前例のないものであった。ピニンファリーナは競合を避けるように各国にひとつのクライアントを置くというポリシーを持っていた。日本においてはかつて日産と契約を締結し、何台かの市販モデルのスタイリングを開発しそれを『納品』している。

ピニンファリーナのスタイリングが採用された唯一のホンダ車、ビート。
ピニンファリーナのスタイリングが採用された唯一のホンダ車、ビート。    本田技研工業

しかしホンダに関しては、ピニンファリーナとのコラボレーション自体も当初は公表されなかったし、ピニンファリーナが開発したスタイリングが市販モデルに採用されたことはひとつの例外を除いて存在しなかったし、それもオフィシャルには言及されなかった。ちなみにその例外とは、ホンダ・ビートである。

記事に関わった人々

  • 執筆

    越湖信一

    Shinichi Ekko

    イタリアのモデナ、トリノにおいて幅広い人脈を持つカー・ヒストリアン。前職であるレコード会社ディレクター時代には、世界各国のエンターテインメントビジネスにかかわりながら、ジャーナリスト、マセラティ・クラブ・オブ・ジャパン代表として自動車業界にかかわる。現在はビジネスコンサルタントおよびジャーナリスト活動の母体としてEKKO PROJECTを主宰。クラシックカー鑑定のオーソリティであるイタリアヒストリカセクレタ社の日本窓口も務める。
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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