NSXの前奏曲!今明かされる『ホンダHP-X』の全貌【#01ペブルビーチで復活】

公開 : 2025.03.26 11:45  更新 : 2025.03.28 11:34

なぜホンダはピニンファリーナと契約をしたのか

それでは何のためにホンダは、ピニンファリーナに大枚を払って契約をしたのだろうか?

まず、ピニンファリーナからの幾度にも渡るラブコールに応えて、デザインスタディの一環として世界的評価の高いカロッツエリアからの提案を勉強しようという判断が下されたと、当時ホンダのデザイントップであった岩倉信弥はかつて語ってくれた。

本田宗一郎は、デザインは外部に任せるべきではないという強固なポリシーを持っていた。
本田宗一郎は、デザインは外部に任せるべきではないという強固なポリシーを持っていた。    越湖信一

そう、コラボレーションの目的はカーデザインの頂点であるイタリアンデザインを学ぼうという取り組みであったが、同時に本田宗一郎は、ホンダのクルマのデザインは外部に任せるべきではないという強固なポリシーを持っていたという。

つまり、元からピニンファリーナの提案を商品化させるという前提はなかったのだ。ピニンファリーナとしては、市販車のデザインを提案し、ホンダのクルマの委託生産を1台でも引き受け、日本の自動車メーカーに食い込むことを願っていたから、その状況を理解できなかった。何回もモックアップを完成させ、提案したが、商品化への動きは全くなく、フラストレーションが高まっていたのだ。
(つづく)

記事に関わった人々

  • 執筆

    越湖信一

    Shinichi Ekko

    イタリアのモデナ、トリノにおいて幅広い人脈を持つカー・ヒストリアン。前職であるレコード会社ディレクター時代には、世界各国のエンターテインメントビジネスにかかわりながら、ジャーナリスト、マセラティ・クラブ・オブ・ジャパン代表として自動車業界にかかわる。現在はビジネスコンサルタントおよびジャーナリスト活動の母体としてEKKO PROJECTを主宰。クラシックカー鑑定のオーソリティであるイタリアヒストリカセクレタ社の日本窓口も務める。
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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