NSXの前奏曲!今明かされる『ホンダHP-X』の全貌【#04初めて明かされた真実】

公開 : 2025.03.29 11:45

2024年8月、北米モントレーで開催されたペブルビーチ・コンクールデレガンスに、ホンダHP-Xと呼ばれるコンセプトカーが出展されました。その歴史を紐解いていくと、実はNSXとの関係性を見いだせるのです。越湖信一による短期集中連載、その第4弾です。

トリノ・ショーにおける評価は、とても高かった

完成したホンダHP-Xがデビューを飾った、40年前のトリノ・ショーにおける評価は、とても高いものであった。そして、表立って公表されていなかったホンダとピニンファリーナのコラボレーションが、白昼にさらされる絶好のタイミングでもあった。何せ当時のホンダはF1に市販モデルにとても元気がよかったのだから、注目の度合いが違った。従来の『スーパーカー』とは全く異なった未来的コンセプトを持つHP-Xは、「さすがはホンダ」と絶賛されたわけだ。

しかし、ホンダ・サイドとしてはそこまで楽観的でなかった。勢いはあったものの、まだ4輪ブランドとしてはニッチなポジションであり、今だ『4気筒エンジンのブランド』であるという、身の丈にあった考えが社内にはあったようだ。果たしてホンダという大衆車ブランドが作るスーパーカーがマーケットで受け入れられるかどうかは、大きな賭けであったと当時の関係者は語る。

1984年トリノ・ショーで発表されたホンダHP-X。写真は当時の会場で撮影されたもの。
1984年トリノ・ショーで発表されたホンダHP-X。写真は当時の会場で撮影されたもの。    ピニンファリーナ

そしてそれから5年後に発表されたホンダ初のスーパーカーが、HP-Xとは全くコンセプトを異にするNSXであったことは誰もが知るところだ。フィオラバンティをして「彼ら(ホンダ)はフェラーリ(のようなスタイリング)を求めた」というのが結論であった。しかし、ホンダの開発スタッフはHP-Xのスタイリング開発プロセスから多くを学び、そのモチーフを活用できないか検討したことは間違いない。

ロレンツォ・ラマチョッティの証言

ところで、このHP-Xコンセプトはスタティック(不動)モデルであり、エンジンは搭載されていない。とすると、件のF2エンジンはどうなってしまったのであろうか。

前述したように、フィオラバンティはダラーラ製シャシーを用いてF2エンジンを搭載し、『この轟音を立てる未来的な物体が、ピニンファリーナ構内をテストランした』と自著に書き印している。

フィオラバンティの元でマネージャーを務めたロレンツォ・ラマチョッティ。
フィオラバンティの元でマネージャーを務めたロレンツォ・ラマチョッティ。    越湖信一

とするとピニンファリーナが製作したコンセプトモデルは2台存在したことになる。その疑問を当時、フィオラバンティの元でマネージャーを務めた(後にピニンファリーナ研究開発のCEOを務める)ロレンツォ・ラマチョッティに尋ねてみた。

「ピニンファリーナがホンダから、F2エンジンを使ったランニングプロトタイプの企画を任されたのはご存じのとおりだ。1984年のトリノ・ショーで、ピニンファリーナはHP-Xコンセプトを発表した。これは、インテリアを備えたモデルであったが、エンジンを含め、メカニカルパートは何もないモックアップだ。

そのデザインは、ピニンファリーナがフェラーリのために使用していた言語とは意図的に大きく異なっていることもおわかりだろう。このモデルがピニンファリーナのコレクションとして保管されていたもので、昨年のペブルビーチ・コンクールデレガンスでお目見えした。

そしてそのスタティックモデルを発表した翌年である1985年に、ピニンファリーナはこのコンセプトからインスピレーションを得たプロトタイプをホンダに納品した。これには件のF2エンジンが搭載されたものであり、ホンダはこのクルマを非公開とした。であるからこの個体は、存在しないものと関係者は認識しているのだ」

これは恐らく、初めて明かされた真実ではないであろうか。HP-Xのコンセプトモデルは2台作られ、私たちが目にすることができるのは、よりピュアなコンセプトに基づいたものであるのだ。よりプロダクションモデルに向けての提案であろう、もう1台のコンセプトモデルが存在するならば、いつの日かお目にかかりたいものではないか。

記事に関わった人々

  • 執筆

    越湖信一

    Shinichi Ekko

    イタリアのモデナ、トリノにおいて幅広い人脈を持つカー・ヒストリアン。前職であるレコード会社ディレクター時代には、世界各国のエンターテインメントビジネスにかかわりながら、ジャーナリスト、マセラティ・クラブ・オブ・ジャパン代表として自動車業界にかかわる。現在はビジネスコンサルタントおよびジャーナリスト活動の母体としてEKKO PROJECTを主宰。クラシックカー鑑定のオーソリティであるイタリアヒストリカセクレタ社の日本窓口も務める。
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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