NSXの前奏曲!今明かされる『ホンダHP-X』の全貌【#05そして復活へ】

公開 : 2025.03.30 11:45

NSX開発の前奏曲

これで、NSX開発の前奏曲(プレリュード)とも言えるHP-Xの全貌をまとめることができたのではないだろうか。そして最後にひとつのエピソードに触れてこの項の筆を置きたいと思う。

不幸にも若くして昨年、この世から去ってしまったパオロ・ピニンファリーナであるが、まさにHP-Xの開発が進んでいた1983年当時、ホンダの従業員になっていた! 従業員という表現は正確ではないが、ホンダのアッセンブリーラインで若きパオロは未来のピニンファリーナの当主としての修行を行っていたのだ。生前パオロは、筆者にこう語っている。

昨年亡くなられたパオロ・ピニンファリーナは、若い時にホンダで修行行っていた。
昨年亡くなられたパオロ・ピニンファリーナは、若い時にホンダで修行行っていた。    越湖信一

「父(セルジオ・ピニンファリーナ)はホンダとのコンサルタント契約更新を1983年に行った際、条件に『ピニンファリーナから1名迎える』という一文を加えていました。それはピニンファリーナが信頼をおける若い人間が、ホンダで経験を積むことが目的だったのです。

ホンダ側は契約条件にOKを出しましたが、実際、ピニンファリーナから誰が来るのかは知りませんでした。実は父がホンダに送りたい人間は、私だったのです。そして契約期間中に、ピニンファリーナが手掛けた数少ないホンダ車であるHP-Xが発表されました。だからこのモデルにはとても強い思い入れがあったのです」

そう、このエピソードはその時期、ホンダとピニンファリーナの関係が最も密接な時期であったことを証明し、故パオロにとっても心に残る思い出のクルマなのであった。
(終わり)

追記:ピニンファリーナ・クラシケについて

HP-Xの修復は、ヘリテイジを重視するピニンファリーナの戦略をアピールする絶好の機会であると彼らはみなしている。トリノのスタジオには、この種のプロジェクトに特化した、専従の従業員をはじめとする膨大なリソースが用意されている。

近年開始された『ピニンファリーナ・クラシケ』プログラムは、ピニンファリーナがフィアットランチアプジョーアルファ・ロメオのために設計、製造したクラシックカーやヤングタイマーをはじめ、ピニンファリーナを代表する数多くのクルマの生産仕様を証明するために創設された。

ピニンファリーナは近年、『ピニンファリーナ・クラシケ』のプログラムを開始した。
ピニンファリーナは近年、『ピニンファリーナ・クラシケ』のプログラムを開始した。    ピニンファリーナ

膨大なアーカイブの詳細な情報をもとに、各個体の包括的な情報、例えば、仕向け地、モデルおよびタイプコード、外装色、内装仕上げ、ピニンファリーナ工場終了日、エンジンおよびボディ番号などを含む、生産証明書を発行している。

記事に関わった人々

  • 執筆

    越湖信一

    Shinichi Ekko

    イタリアのモデナ、トリノにおいて幅広い人脈を持つカー・ヒストリアン。前職であるレコード会社ディレクター時代には、世界各国のエンターテインメントビジネスにかかわりながら、ジャーナリスト、マセラティ・クラブ・オブ・ジャパン代表として自動車業界にかかわる。現在はビジネスコンサルタントおよびジャーナリスト活動の母体としてEKKO PROJECTを主宰。クラシックカー鑑定のオーソリティであるイタリアヒストリカセクレタ社の日本窓口も務める。
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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