ランチア・イプシロンが40周年を迎えた話【新米編集長コラム#25】

公開 : 2025.03.30 11:05

各時代の『ベストY』を生みだし続けてきた

その後、イプシロンはイタリアのみで細々と生産、販売され続け、ランチアのブランドはかろうじて継続することができた。マルキオンネ氏が亡くなられて、経営陣が入れ替わったことも、その一因と言えるだろう。そしてFCAと、プジョーシトロエンなどのPSAグループが合流し『ステランティス』となったことで、ランチアにもふたたびスポットライトがあたり、5代目誕生へと繋がるである。

『こうして4世代を見ると、それぞれ時代に翻弄されながらも、彼らが実際にどう思っているかはさておき、”経済的にはビンボーでも、ビンボー臭く生きたくない”という精神で、その時代の”ベストY”を生みだし続けてきたように感じる。例えは悪いが、没落しても誇り高き貴族の精神は失わない──。欧州人のそんなDNAがあったからこそ、心豊かに人生を送るためのクルマ、”Y=イプシロン”が愛され続けてきたのかもしれない』。

筆者が所有するランチア・イプシロン・モモデザインの近影。このクルマの話は、また機会を改めて。
筆者が所有するランチア・イプシロン・モモデザインの近影。このクルマの話は、また機会を改めて。    平井大介

これはカー・マガジンNo.451の『アウトビアンキY10・30周年特別企画(後編)』で文末に書いたものだ。そして10年経った今でも、私が歴代イプシロンたちに感じる想いは全く変わらない。願わくは、5世代揃った姿をここ日本でも実現したいものだ。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影 / 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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