マッスルカー愛好家必見 部品取り専用の希少なクライスラー 40選(前編) ジャンクヤード探訪記

公開 : 2025.04.05 18:45

ダッジ・チャージャー・シェルビー(1985年)

ナンバープレートのタグから判断すると、このダッジ・チャージャーは1997年に12歳で現役を引退したようだ。1985年型のシェルビーモデルで、2.2Lターボエンジンを搭載していた。最高出力146psを発生し、0-97km/h加速は7.5秒、最高速度は210km/hに達する。同年に生産された7709台のうちの1台である。

ダッジ・チャージャー・シェルビー(1985年)
ダッジ・チャージャー・シェルビー(1985年)

ダッジ・コロネット(1969年)

モパー・シティへの訪問は完全予約制だが、幸運にもその扉をくぐることができた暁には、数時間を費やす覚悟が必要だ。マッスルカー愛好家にとっては夢のような場所であり、宝の山であり、また非常にエキサイティングなハンティングでもある。

多くのクルマは状態が悪いが、この1969年型ダッジ・コロネットのように比較的しっかりとしたボディと豊富な部品が揃った逸品もある。

ダッジ・コロネット(1969年)
ダッジ・コロネット(1969年)

クライスラー300(1968年)

1968年には3万4621台近くのクライスラー300が販売されたが、そのうちコンバーチブルは2161台のみであるため、このクルマは非常に珍しい。地面に深く沈んでいることから判断すると、かなり長い間モパー・シティに置かれていたようだ。

クライスラー300(1968年)
クライスラー300(1968年)

インペリアル・クラウン(1969年)

1969年当時、4ドア・セダンのクラウンの新車価格は6411ドルで、インペリアルの中で最も安価であった。しかし、販売台数は1617台と、最も販売台数が少なかった車種の1つでもある。多くの車種と同様に、このクラウンも当初はビニールルーフが装備されていた。現在は取り外されているが、その下に隠れていた恐ろしい金属パネルが露出している。

インペリアル・クラウン(1969年)
インペリアル・クラウン(1969年)

ダッジ・ポラーラ(1966年)

1966年、7万5400台のポラーラが生産され、同年のダッジ全体の生産台数の10%以上を占めた。この素晴らしい成績により、ダッジは米国で5番目に売れたブランドとなり、兄弟ブランドであるプリムス(4位)に続いた。

ダッジ・ポラーラ(1966年)
ダッジ・ポラーラ(1966年)

プリムス・クーダ(1972年)

1972年、プリムス・クーダは、アグレッシブな外観と優れたパフォーマンスで注目を集め、バラクーダのワイルドな兄弟車として際立っていた。バラクーダがスタイリッシュで親しみやすいポニーカーとして幅広い層に受け入れられていたのに対し、クーダはもっと尖ったモデルだった。現存する車両は多くないが、モパー・シティには状態の良いものが置かれている。

プリムス・クーダ(1972年)
プリムス・クーダ(1972年)

ダッジ・コロネット(1965年)

20万9000台が販売されたコロネットは、1965年のダッジのベストセラーモデルであったが、そのうち440コンバーチブルは1万2000台未満という希少な逸品である。写真の車両に関しては、錆びた外装と風雨にさらされた内装のどちらがひどい状態なのか、判断するのは難しい。

かつてはたったの2590ドルで、ダッジのショールームからこの美しいクルマを選び、風を切って走らせることができた。

ダッジ・コロネット(1965年)
ダッジ・コロネット(1965年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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