マッスルカー愛好家必見 部品取り専用の希少なクライスラー 40選(後編) ジャンクヤード探訪記

公開 : 2025.04.05 19:45

米国の巨大ジャンクヤードを巡り、スクラップ同然のクルマにレンズを向ける探訪記シリーズ。今回はクライスラー、ダッジ、プリムスなど、愛好家の間で「モパー」の名で知られるクラシックカーに焦点を当てます。

ダッジ・チャージャー(1966年)

(翻訳者注:この記事は「後編」です。今回訪問したジャンクヤードや他のモデルについては「前編」で紹介しています)

初代ダッジ・チャージャーは1966年半ばにデビューした。コロネットのプラットフォームをベースに、フォードマスタングやAMCランブラー・マーリンなどと競合するように設計された。販売面でもヒットとなり、わずか半年で3万7344台を売り上げた。 この1966年型の車両は、ボディパネルのほとんどが錆びてしまっているが、ドアはまだ使えると判断されたようだ。

ダッジ・チャージャー(1966年)
ダッジ・チャージャー(1966年)

プリムス・バラクーダ(1964年)

初代プリムス・バラクーダはフォード・マスタングに対抗するべく作られ、実際に市場に先んじて1964年4月1日にデビューした。フォードがファルコンをマスタングに変えたように、プリムスはヴァリアントのプラットフォームをベースにポニーカーを開発した。しかし、先行したにもかかわらず、バラクーダはマスタングほど人々の心をつかむことはできなかった。

最もよく知られているのは、量産車に採用されたものとしては当時最大級のリアウィンドウだろう。驚くべきことに、ご覧の通り、この車両は今でも象徴的なガラスをそのまま残している。

プリムス・バラクーダ(1964年)
プリムス・バラクーダ(1964年)

ダッジ330(1963年)

ダッジ330は1962年、1963年、1964年のモデルイヤーのみ生産された車種である。当初はダッジ・ダートの上位グレードとして位置づけられ、2ドアと4ドアのセダンが用意されていた。しかし、この1963年型が組み立てラインを離れる頃には、ブランド戦略の転換を受けて、ダッジの中型ラインナップにおけるベースグレードとなっていた。

ダッジ330(1963年)
ダッジ330(1963年)

クライスラー・ニューヨーカー(1977年)

クライスラー・ニューヨーカーの多くは、デモリション・ダービーでその生涯を終えたが、この車両は違う。とはいえ、もしアリーナを数周走ったとしても、これほどひどい状態にはならなかっただろう。まっすぐなパネルはもうほとんど残っていない。

ニューヨーカーは、1940年から1996年までクライスラーのラインナップに名を連ねており、生産中止となった時点で、米国車の中で最も長い歴史を持つ車名となっていた。このボロボロの車両は、おそらく1977年頃のものだろう。

クライスラー・ニューヨーカー(1977年)
クライスラー・ニューヨーカー(1977年)

クライスラー・ニューポート(1968年)

こちらも明らかに全盛期を過ぎたクライスラー、1968年型のニューポート・コンバーチブルである。このクルマがジャンクヤードで見つかることは稀で、同年に18万2000台が販売されたニューポートのうち、コンバーチブルはわずか2847台だった。間違いなく貴重な逸品ではあるが、その希少性は、この荒廃した現状を補うには不十分だ。

クライスラー・ニューポート(1968年)
クライスラー・ニューポート(1968年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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