レトロモービル
2015.02.04〜08
記念すべき40回目となるレトロモービルがパリのポルト・ド ・ヴェルサイユにある国際展示場で開催され、大々的なテーマ展示などで大いに賑わった。毎回お約束のメーカーによる展示や、クラシックカー愛好家にとって真冬のオアシスと呼べるクラブや出展者などが今年も多く参加した。2週間前にパリで恐ろしい悲劇が起きたにもかかわらず、ウィンターブレイクの伝統ともいえるイベントだけあってフランス国外からの来場者は幸いにも減ることがなかった。
今回のメインテーマのひとつは、ブガッティ・タイプ41ロワイヤルの3台だった。これはミュールーズにある国立自動車博物館に普段は展示されているもので、このモデルが発売された当時には直列8気筒12.7ℓから304psを生み出すということで並外れた存在だったもの。単に大きいというだけでいうなら今なお印象的なモデルでもある。製造されたのはたった6台で、いずれも3tを超え、全長は7m近くに達するので、現代でいうロールス・ロイス・ファントムさえちっぽけに見えてしまう。これらはエズデール・ロードスターの精巧なレプリカで、シュルンプ兄弟が80年代に作業をはじめ国立自動車博物館が完成させたものだ。パークワード・リムジーネとクーペ・ナポレオンの方は文字通り他を圧倒する存在感を放っていた。
また、有能なスペイン人エンジニアだったウイルフレード・リカルトへのトリビュート展が開催されていた。彼は第二次大戦以前にアルファ・ロメオ所属時代のエンツォ・フェラーリとともに働き、ときにはライバルとして渡り合った仲だった。1952年から1958年にウイルフレードが設計したペガソのスポーツカーが展示されたのだが、これはペガソのメイン・ビジネスであるトラックやバス製造の片手間に企画されたモデルだった。もちろん彼は魅力的なクルマも生み出しているが、ボディの架装は社内ではなく。パリのソーチックやミラノのカロッツェリア・トゥーリングなどで行われていた。ブガッティ・ロワイヤルにそっくりなそのクルマはコスト不問という方針で製造されたが、結局本業を維持できなくなるため生産は1958年に終了した。それまでにおよそ80台強が製造されている。
イタリアのコラード・ロプレスト・コレクションといえば、ヴィラ・デステやペブルビーチといった世界的なコンクールやクラシック・イベントに多くの車両を展示してきたことで知られている。しかし、このコレクションは本来ひとつのテーマでしか展示を行わないのである。そこでレトロモービルは一度に数々のクルマを目にする機会をエンスージアストに与えることにしたのだ。今回のコレクションは、イタリアン・メーカーのワンオフ・コーチワーク、プロトタイプ、プリ・プロダクション・モデルを主に扱ったものになった。そのなかには1963年ランチア・フロリダ・ピニンファリーナ・ベルリーナ、1960年アルファ・ロメオ2000プラホ、1961年オスカ1600GT、1970年アウトビアンキA112ジョバニといったもののほか、衝撃的なことに1938年アルファ・ロメオ6C1750 GSザガート・アプリーレ・スパイダーまでが並んでいた。
そのそばではマートラが製造したロードカーの「ヤングタイマー」展が開催され、M530、バゲーラ、マートラ-シムカ・ランチョが展示されたていた。こうした展示は忘れ去られた近年のモデルを思い出させてくれるので、とても気に入っている。これ以外に特筆すべき企画といえば「ラ・ツール・ドゥ・モンデ・エン・フォードT」というものがあった。これは、1915年式フォード・モデルTの1回限りの展示で、オランダ人カップルのディルク&トゥルディ・レグスターが2年半という期間に10万km以上も世界中を旅した車両を展示し、子どもを救う慈善団体の資金を集めや、活動の理解を広めるために企画された。
ショーにはベントレー、ブガッティ、シトロエン、メルセデス・ベンツ、プジョー、ポルシェ、ルノー、スコダといった数々のメーカーの展示が行われたが、他のブランドはクラブが代表して展示していた。また、大小多数のディーラーが出展し、いろいろな興味深い機会を展示していた。さらにアールキュリアル・オークションによるメインホールの展示、別棟で行われた様々なイベントの主催者のブース、クルマに関するあらゆるものの物販コーナーなど、旧きも新しきも入りまじり、全部見て回ろうとするといくら時間があっても足りないほどの内容盛りだくさんのショーであった。